今日の映画鑑賞です。
今回は1936年(昭和11年)に公開されたアメリカ映画で、喜劇王チャーリー・チャップリンの代表作のひとつとも言える「モダン・タイムス」モダン・タイムス」(原題:Modern Times)です。
この映画は大変有名なものなので、ご覧になった事がある方も多いのではないかと思います。
資本主義経済という巨大な文明の中で、まるで一枚の歯車のように酷使されて使い捨てられていく労働者の姿や、横暴で有無を言わさない警察権力、街に溢れる失業者と貧困の悲しみなどを余すところなく風刺した映画だったので、「共産主義的である」という烙印を押されて上映禁止になった国もあるほどの問題作でもありました。
冒頭では、チャーリーはベルトコンベアに流れる部品のナットをひたすら締め続けるという単純作業に、文字通り「追われて」いるところから始まります。
驚いたことに、お話の中で登場する見せ場の一つ、労働者の手を止めずに働かせることを可能にするという「自動給食機」は、実用化こそなかったものの実際に研究されたこともあったそうです。
当時のアメリカ社会で、いかに労働者が軽視されていたかというのが良くわかるエピソードであり、これにチャップリンが物申そうとした事も理解できます。
この物語で、大きな役割を果たすのが浮浪児のヒロイン(ポーレット・ゴダード)。
木屑を拾い、食べ物を盗んで何とか食いつなぐ毎日です。
当時はこのような子供がたくさんいたのでしょうか。
機械に追われ、貧困に追われ、そして権力に追われ。
人間が人間らしさを忘れ、ただひたすらに社会という機械の歯車として働き続ける。
そして、働いて働いて、すり減って使えなくなったら捨てられて交換されていく。
機械文明というものは、同時に人間までも機械の一部分に、ましてや「消耗品」にしてしまった。
その中で、本当の幸せはあるのだろうかと思います。
この映画で印象的なシーンは様々あります。
まず、家がない2人でしたが、少女が見つけてきたボロ家に住む事になった時。
床は抜け、壁は崩れ、屋根は落ちる廃墟ですが、誰からも束縛されないこの空間をチャップリンは「天国だ」と表現します。
また、冒頭に紹介した、チャップリンが機械のように働かされる一面を見た後で、チャップリンが刑期を終えて少女と再会するときの最上の笑み。
機械として歯車のごとく働いていても、人間としての心と笑顔は忘れていないんだ、と訴えてくるかのようです。
そして、ようやっとバーにて仕事を見つけた2人。
このときのチャップリンの歌声は実に貴重なものです。
しかし、幸せはいつまでも続かない。
浮浪児という事で指名手配を受けた少女(そんな事で指名手配にまでなるものでしょうか)を追ってきた刑事の手を逃れ、ふたたび手をとって歩み出す2人。
この後、何も持っていないけれど、この幸せそうな2人は、どのような人生を歩むのでしょうか。
この問いを、観客に投げかけるようにして、2人の後ろ姿で幕を閉じるのです。
この映画は、見よう見ようと思っていながら、なかなか順番が回ってこない映画でした。
もう85年も前の映画ですが、今なお相変わらず人間を消耗品として使い捨てる風潮は残っています。
今はコロナ禍の真っ最中にあって、仕事があるだけでも幸せと言えるかもしれませんが、この映画にも通じる大不況の真っ只中にあるからこそ、夢と希望を忘れないチャップリンと少女に目を向けてもよいのではないかな、と感じた映画でした。
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