三浦半島の最南端に近い松輪の里は、あまり観光客の訪れない静かな所です。
それでも、歴史が深いところである事には間違いなく、今まで何度となく訪れている大好きな所の一つでもあります。
松輪バス停のところから、角に並ぶ庚申塔の群れを横目に細い路地を入っていくと小さな閻魔堂があり、さらに坂を降りていくと深い谷戸に抱かれるようにして四脚の山門が見えてきます。
ここが、臨済宗寺院である福泉寺です。
こちらの本堂はかつて、日本軍の特攻隊である岩舘部隊の拠点としても使われた過去があります。特攻隊といっても飛行機で敵艦に体当たりするものではなく、ベニヤ版で作ったボートに爆弾を満載して体当たりする「震洋」という特攻兵器が主体でした。
実戦での体当たり攻撃はしないまま終戦を迎えましたが、訓練中の犠牲者は多く出たという事です。
さて、ここの本堂は実に風情のある趣ですが、この裏手は崖となり、その上は墓地が広がっています。
この崖の土留めの石垣には、多数の無縁仏の墓石が使われているのが印象的でした。
実際に数えたわけではないのですが、見上げるような崖をいちめん、墓石が覆っています。その数は恐らく数百基に及ぶことでしょう。
無縁仏というのは、皆さんもご存じのように墓参りする人が途絶えてしまったお墓の事、または死者の事を言います。
よく、お寺の入り口などにギッシリと集められたり、観音菩薩の台座などになっている姿をよく見かけますが、このように高い壁面を一面に覆いつくしている石仏はまことに壮観のひとことで、この墓石ひとつひとつにそれぞれの人生が込められているのだと思うと、身の引き締まる思いです。
この石仏たちを一体一体眺めていると、中には固く口を結んだ地蔵菩薩や、片膝をついて物思いにふける如意輪観音など、いろいろな造形の物が見られます。
それらの美しき像容は見ていて飽きるものではなく、さらにその左右には亡くなった日と戒名が刻まれ、その戒名を読み取るごとに、この人はどんな人生を歩んで今ここにいらっしゃるのだろうと想像してしまいます。
中には幸せばかりの人生ではなかった人も多かった事でしょう。
人間世界の重圧に苦しみ、大変失礼ながらも死後の世界では地獄の責め苦に苛まれている故人もいらっしゃるのかもしれません。
小さくして亡くなった子供の墓石も多く見られ、彼ら彼女らは親よりも早く亡くなった、というだけで今なお三途の川で石を積み上げる、終わりのない修行に涙を流しているかもしれません。
中には「寒雨童女」「幻笑童女」などという、どれほど切ない死に方をしたのかまで想像できてしまうような戒名の墓石までもが残されています。
そのような無縁仏さまたちですから、一刻も早く極楽浄土へと導かれていただきたいなと切に願わずにおれません。
時代が経ち、いつしか詣でる人たちも絶えて、無縁の墓として本堂裏に眠る無数の仏さまたち。
これらに向き合っているうちに、せめて本堂に手を合わせる信者たちの功徳が少しでもこのお墓に届きますようにと、深々と御本尊さまにお願いをして福泉寺を後にしたのでした。