みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

開発の波に消えていく 舞岡熊之堂の祠と古道(横浜市戸塚区)

戸塚駅から東に向けて1キロたらず、豊かな森と団地に挟まれた一角に「舞岡熊之堂」という交差点がある。

熊之堂というのは熊野権現堂を指すのだろうが、それらしきお堂は近くには見当たらないので、この交差点名の由来がずっと気になっていた。


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地域資料によると、この近辺は大字を舞岡、字を熊野堂といい交差点名もそこから付けられたものであろう。

ただ、この熊野堂という地名があるからには熊野権現堂があったのであろうが、明治初期の古地図などにもそのような記載がなく、その熊野権現堂がいつ、どこにあったものかを示す資料は残されていないのだという。

 

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ただひとつ、この舞岡熊野堂の交差点から少し坂を登ったところに、かつて「かまくら中ノ道」と呼ばれる鎌倉へとつながる古道沿いに、小さな石祠が残されている、と地元の方に教えていただいたのでさっそく行ってみることにした。

 

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祠の場所は、きちんとGoogleマップにも載せられていて、なんと親切なことか。

一昔前であれば、決して考えられなかった事である。

とにかく、史跡めぐりというものはガイドマップが頼りであったから、有名なところしか行けないものであった。時代は変わったのだ。

 

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道端の空き地に原付を停め、ここからは藪漕ぎである。

うっそうとした山林に包まれて、いかにも古道といった佇まいではないか。

しかし、地元のご婦人の話では「広々とした畑の真ん中にポツンとあって、その近くには古墳みたいな塚もある」との事であったが、畑であったと思しき所は激しく切り崩され、悲しいかなここにも開発の手が及んでいるかのようである。


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そして、これが件の石祠であろう。

小さな祠であるが、脇には「舞岡村 元吉田村 セハ人 氏子中」、「維時弘化四丁未 二月十六日再建」と刻まれ、弘化4年(1847年)といえば徳川11代将軍の頃である。

その年に「再建」とあるから、実態はもっともっと古いのだろう。

 

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もともと、この石祠の前の道は、源頼朝新田義貞も通ったとされ、鎌倉時代末期から南北朝時代には道となっていたと考えられている。

それほどまでに歴史のある古道であるが、このように切り崩された後は誰からも忘れられてしまうのであろう。諸行無常の悲しさである。

 

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以前紹介した、鎌倉幕府の討幕運動が仇となり討たれた護良親王の首を、後醍醐天皇が運んだ道ともされている、実に由緒正しい道であったそうだが、今となってはすっかり切り崩されて、ここにも歴史感に疎い林文子市長の見識の低さが現れているのである。


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この近辺は、新田義貞の鎌倉攻めで激しい戦闘があり、その際に亡くなった武士や刀を埋めた塚が多く作られたようで、おそらく地元のご婦人が教えて下さった「塚」もそのようなものだったろう。

 

「はまれぽ」の記事には「身に切り台に由来する『ミミンダイ塚』」というものがあったと記載されていたが、それらもすでに切り崩されてしまったのか、あまりの地形の変わりようにどれが塚なのかすら分からなかった。

 

結局、「舞岡熊之堂」の地名の由来が、この石祠である確信はなかったが、ただひとつ分かったのは、また一つ、こうして貴重な歴史遺産が姿を消していく瞬間に立ち会えたという事であり、まるで石祠が「無くなる前に会いに来いや」と手招いてくれたかのようで、ここにも現代人の罪深さを詫び、ただただ静かに手を合わせたのである。