三崎口の駅前の三崎街道を北上し、初声小学校入り口の交差点を東へ入ると初声市民センターがあります。
このあたりは初声と書いて「はっせ」と読み、平安時代から鎌倉時代にかけて三浦一族の豪将であった和田義盛公の所領となった場所でもあります。
何の気なしに原付で通りかかり、不思議な壁を見つけました。
単なる幾何学模様のようで、よく見ると矢羽の形をしています。
気を付けていないと通り過ぎてしまいますが、やはりこれは矢羽のようです。
この近くには「矢作」と書いて「やはぎ」と読ませる地名もあります。
和田義盛が矢を作っていた場所にちなんだもので、その時に植えられた篠竹は今でも子孫が残っているそうです。
そういえば、過去に「矢作の赤辺稲荷」でも「矢作」の紹介をしました。
恐らく、この壁もそれにちなんだものでしょう。
そのあたり、近くにあった看板に詳しく書かれていたようですが、ほとんど文字が消えてしまい読み取ることは出来ませんでした。
看板は消えてしまいましたが、こうやって地元の武将や歴史を誇りとし、後世に伝えていこうという試みには脱帽させられます。
なんでもかんでも開発してしまい、これといった痕跡も残さない横浜市にも、少し見習ってほしいと思います。
いつか、この看板がきれいに書き直されて、この道を歩く多くの人々から末永く「矢羽の壁」(勝手に名前を付けました)が愛されていくように願ってやみません。