神奈川県の西側、海沿いに位置する大磯町はあまり広い町ではありません。
しかし南側は悠遠の相模灘に面し、北には秦野盆地へと続くなだらかな丘陵が広がる、温暖で風光明媚な土地であるばかりでなく、旧東海道が通っていたことから人々の往来も多かったので、それなりに見どころが多いところです。
そんな大磯町を原付で走らせていると、住宅街を結ぶ細い道の、木々うっそうと茂る茂みの中に、ぽつんと忘れ去られたように残るお稲荷様を見つけました。
「伏見正一湧水稲荷」という鳥居をくぐり、曲がりくねった足場の悪い階段を上がっていった先にあったのは、完全に朽ちてしまった祠とお稲荷さんたちでした。
一体いつ頃の物か、誰が、何のために祀ったのか。
さっそく「新編相模国風土記稿」などデジタル史料を見てみましたし、ネット検索などもしてみましたが、詳しい事は全く分かりませんでした。
このような時は、地域で農作業などをされているお年寄りに聞くのが一番です。
しかし、ここには誰一人おらず、詳しい事はよくわかりません。
祠の前には鈴緒の木が落ちていました。鈴緒というのは神社などで拝殿の前に鈴と共に下がっている縄ですが、これは昭和27年9月のものだそうです。
朽ちた扉が崩れかけて、その隙間からはお稲荷さんが並んでいるのが見て取れます。
いったい、みうけんはいつぶりの来訪者となったのでしょうか。
ただ、たまに草刈りや掃除などはされているのか、このあたりだけ下草は綺麗に無かったのが印象的でした。
「湧水稲荷」の石板です。
裏には大正7年10月27日の日付が刻まれているのみで、由来などはなにも刻まれていませんでした。
湧水稲荷というからには、かつてここに水が湧き出ていて田畑を潤していた、大切な所だったのかもしれません。
この湧水稲荷も、かつては多くの人がお参りに訪れたのでしょう。
今では訪れる人もあまりなく、かつてあったであろう湧水すらも途絶えてしまった湧水稲荷。
時代が平成から令和へと変わった現代において、もはやこの湧水稲荷に手を合わせる人も本当に少なくなってしまった事でしょう。
秋の日の夕暮れの中、落ち葉の中にたたずむ石碑の前の、崩れかけた2頭のキツネの石像は、自慢であるはずの尾も折れたままであったのが、より一層の哀れさを感じさせるのでした。