みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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終戦直後の悲哀を語る 根岸外国人墓地に葬られた嬰児たち(横浜市中区)

横浜の外人墓地といったら、主に山手外国人墓地と根岸外国人墓地がある。

山手外国人墓地は「港の見える丘公園」や「アメリカ山公園」、「水屋敷」などからも近く、綺麗に整備されて観光名所にもなっているものの、根岸外国人墓地の方はうっそうとした木々に覆われて訪れる人も少なく、その独特で陰鬱な雰囲気がもの悲しさをあらわしている。

 

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墓地はだれでも自由にお参りすることができるが、案内書きに促されるままに正門左手の小さな扉を開けて入ると、落ち葉が散らかったままで管理人室には誰もいない。

入口を入ってすぐにトイレへの案内板があるが、トイレに行こうと入って行っても物置しか置かれておらず、どうにも丁寧に管理されている感じはしないのが、実に物寂しい。

 

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また、入り口から墓地の中に歩みを進めていくと、すぐ右手には「慰霊」とだけ陰刻されたオブジェが建っているが、これこそか戦後に進駐軍兵士の残していった哀れな嬰児たちの慰霊碑であると言われており、戦争と終戦直後の悲しき哀話を今に伝えているのである。

 

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大東亜戦争終結した直後、武装解除された日本軍にとって変わり、横浜を始めとした全国各地に展開したのが米軍を中心とした進駐軍であった。

 

そして戦後の混乱の中、誰もが生きることに精一杯であり、特に米兵に体を売って生きなければならなかった女性たち、また治安も劣悪ななかで望まずに米兵に襲われて身ごもった女性たちも多かったと言われている。

 

そうして生まれてきた子供たちは、どのような人生をたどったのか。

そのような子供たちの多くは、至る所に遺棄されたと言われている。

 

ここ根岸外国人墓地にも、800~900体の嬰児の遺体が埋められているという話、またそれは都市伝説であるという話、賛否両論あるようだ。

 

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それも、一時期は数百基におよぶ木製の白い十字架が密集していたからであり、今となってはその十字架は朽ち果てて残っていない。

 

その十字架は、昭和50年代に横須賀基地の米軍人達がボランティアで墓地の清掃をしに来た時に、土に埋もれて墓碑が見えない墓が多く見つかったことから、目印として白い木製の十字架を立てていったのであるという。

 

しかし、十字架を立てる明確な基準、数、記録などは何もないままに「ただたくさん立てていった」状態になったために、その真意はわからず、正確な数も分からずじまいとなってしまい、十字架の意味や数の根拠などは今でも分かっていないのだという。

 

その数は1000近くはあったともされており、そのおびただしい十字架を見た人が、それが全て遺棄された嬰児の墓であると考えるのも無理はなかったそうである。

米軍の清掃は、それが最初で最後であった。

 

それ以降は米軍による管理はされなかったため、十字架は朽ちるにまかせ、結局すべて撤去されるか土に還っていったのである。

 

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従って、現在となっては「墓石も資料も何もなく、無断で遺棄され、埋められた」嬰児がいたとすれば、その数や埋められた位置は定かではない。

 

ただ、生まれて間もなくして亡くなった嬰児の明確な墓石も数多く残されており、その墓石を見れば生まれてすぐに亡くなり、この地に埋葬されたことが一目瞭然であろう。

 

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戦後、この墓地に混血嬰児が人知れず遺棄され、勝手に埋葬されたという公式な記録は残念ながら見つけることが出来なかったが、この地域では既知の事実として口伝されているようで、墓地入り口の前の案内板でも横浜市側がその件を根拠なしとして明記しなかったため、明記を求める市民側とトラブルになったこともあったという。

 

現在、その案内板すら老朽化のために文字の判別が難しくなってきており、横浜市の行政からすっかり忘れ去られたように寂しく立ち続けている。

 

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実際に数百体が葬られているのかどうか、今になって掘り返すわけにもいかず、また掘り返したら掘り返したで行旅不明人となるのは目に見えているため、真実のところは定かではない。

 

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しかし、幼くして亡くなった嬰児たちの遺体が多く埋葬されているのは、数多く埋もれつつある墓石からは明らかである。

 

現在は、そのほとんどが無縁状態であり、もはや花や香華を手向ける人もおらず、雑草は生い茂っていくばかりである。

 

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いま、秋の夕日が寂しく照らす根岸外国人墓地の片隅に立ち、夕暮れに染まる墓石の奥に横浜の街を見渡すとき、寂しく揺れる枯草のこすれる音に母を求める嬰児のすすり泣く声がこだまするようで、一抹の悲哀を感じるのである。

 

 

 

 

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