飯山温泉郷の入口には小鮎川という小川が流れているが、その橋を渡って参道をまっすぐ行くと飯山観音である。
この飯山観音は古来より縁結びの神様として知られ、かつて競馬場だった飯山グラウンドにある一本松は見合いの松と呼ばれて、この松の木の下で見合いをすると必ずや良縁に恵まれるという伝説があるから面白い。
その飯山温泉に入る橋を渡ってすぐ右折し、川沿いに歩いて行くと曹洞宗の古刹、金剛寺に行くことができる。
その崩れかけた山門の脇に、かなり古びた大師堂があり、その周囲には失礼ながら壁が抜け落ち、今にも崩れてしまいそうな張りぼての廊下があり、数多くの地蔵尊や石仏が安置された一角に行くことができる。
この中には薄暗い中に、いろいろな造形の地蔵や観音像が100体以上はあろうか、いつ、どのようにして作られて、なぜここに運ばれてきたのかは今となっては知る由もないが、その中にひときわ美しく目を引く岩船地蔵尊を見つける事が出来る。
岩船地蔵尊とは、おもに海上安全を本願とする地蔵で漁業関係者の信仰を集め、神奈川県でも三浦半島や小田原など海沿いの街にその造像例が多いのである。
しかし、その中にはさまよえる亡者を案内し極楽浄土へと導く地蔵尊の民間信仰も重なり、波に呑まれ帰らなくなった漁民たちの霊を慰める意図もあって作られているのかもしれない。
この像も、猛り狂う荒波の上に今にも沈みそうな小舟が浮かび、その脇には岩礁があり今にも座礁しそうで危うく、しかして法衣を翻しながら意のままに願いをかなえるという如意宝珠をしっかりと手にして、波の揺れにも負けずに身をくねらせて耐えている姿は他の造像例のなかでもひときわ珍しく、どのような荒波に出逢っても望みを捨てずに生き残り帰ってきてほしい、という家族の悲痛な願いが託されているようで、その悲痛さがしみじみと伝わってくるのである。
また、その背後にある地蔵尊は戒名を見るに小さな子供の墓石として作られたものであろうが、両手にしっかりと如意宝珠を握りしめ、その光背には満開の花が咲き乱れ、その華やかさは目を見張るばかりである。
これはみうけんの勝手な憶測なのであるが、幼くして散っていった子に一輪でも多くの花を手向けようと光背に花を咲かせ、、また涅槃に至る長い長い道のりでも決して道に迷う事がないようにと、その手に固く如意宝珠を握りしめさせて死出の旅へと旅立たせた親の心が伝わってくるようで、ひとすじの熱い涙が頬を伝うのである。
これら地蔵尊の多くは墓石として作られたものであり、その伝統は今でも交通事故現場に祀られる地蔵尊につながっているのであるが、当時の地蔵尊は機械彫りではなく無名の石工がノミの一刀一打ちに力を込めて彫り上げた力作である。
その一体一体が、それぞれの死者に合わせて丁寧に、祈りを込めて作られているようで、このような名もなき地蔵尊の一体一体を見るとき、いにしへに生きた人々の回顧録を読んでいるかのような熱くも不思議な感慨を受けるのである。