みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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時の文人北条実時と 鰻井戸の伝説(横浜市金沢区・港南区)

金沢文庫と、名刹称名寺

ここは鎌倉時代に、執権北条家の傍流である金沢(かねさわ)北条家の祖、北条越後守平朝臣実時(ほうじょうえちごのかみあそんさねとき;以降は北条実時)が正嘉2年(1258年)ごろに金沢の居館内に阿弥陀堂を建てたのが初めとされる歴史のある古刹で、そのため寺紋も北条家と同じ「三つ鱗」である。


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時代は流れて文永4年(1267年)に、鎌倉の極楽寺の推薦もあり下野国薬師寺の僧・審海上人を招いて真言律宗の寺として開山し、金沢北条家の菩提寺として大いに発展したが、鎌倉幕府滅亡とともに金沢北条氏も衰退してからは称名寺も衰退の道を辿り、江戸時代からの復興を経て現在の優美な姿を見せているのである。


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また、称名寺と並んで整備されたのが通称「金沢文庫」である。

北条実時はかねてから文学文化に深い興味をもち、数々の歴史書、仏教経典、文学、政治などの資料を蒐集していたが、それらをまとめたものが現在の金沢文庫なのであり、崖に穿たれた洞窟の入り口の脇には、北条実時の偉業を称えて銅像が建てられているのを見ることができる。


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このように鎌倉時代から現代にかけて文化人としての功勲あらたかな北条実時であるが、金沢から離れた住宅地にひっそりと残る井戸にも、今なお北条実時の伝承が残されているのである。

 

金沢区から鎌倉街道につながる笹下釜利谷道路は、かつては「金沢みち」とも「三崎みち」と呼ばれ、この近辺での交通の大動脈であった。


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今では道は広く切り開かれてまっすぐに走っているが、この笹下釜利谷道路の脇にはかつての古道がところどころ残され、地域の生活道路として息づいている。


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金沢区から笹下釜利谷道路を北上し、環状2号線と交差する打越の交差点は、かつて北条家家臣団の間宮家が笹下城と呼ばれる城を築いた場所からも近いが、この打越交差点をさらに北上すると、気をつけていないと見落としてしまいそうな小さな井戸が右手に残されているのが見てとれ、これこそが鰻井戸と呼ばれ北条実時と不思議な鰻の伝説を今に伝える井戸なのである。


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この鰻井戸には由来の書かれた看板が設置されており、その看板によると、話は健治元年(1275年)、今から740年あまり昔にさかのぼる。

戦国武将で名高く、歴史の教科書にも必ず出てくる織田信長武田信玄徳川家康が世に名を表す時より200年も前であり、逆に今から200年前といえばまだ徳川11代将軍のころなのだ。こう書くと、1275年というのがいかに昔の話であるかが分かるだろう。

 

その年、北条実時が病にかかり、金沢の館で静養していたものの一向に快復する気配はなかった。

 

そこで、家臣が紀伊国那智山の如意輪観世音に出向いて病気平癒の祈願をしたところ、実時の夢枕に観音様が現れ「西北に2里行くと井戸がある。その水を飲むとよい。井戸には頭にマダラ模様がある鰻が2匹おり、その鰻こそが病から救う霊物である」とのお告げを下された。

 

実時はさっそく家臣を遣わせて井戸を探すと、確かに小さくひなびた井戸があり、中を覗くとマダラ模様の鰻がいるではないか。


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さっそく水を持ち帰り飲んだところ、驚くことに実時の病は一昼夜で快復したのだという。


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この霊験あらたかな「鰻井戸」の評判はまたたく間に諸国に広まり、病に悩む多くの人が鰻の霊験にあやかろうと水を汲みに来たが、実時が亡くなる頃になると2匹の鰻も姿を消し、今は小さな井戸と伝説ばかりが残るのである。

 

この鰻井戸に関する伝承は、近くにあった旅館三河屋に由来書として残っていたがいつの時か失われて三河屋もなくなり、わずかに井戸の井桁に残る三河屋の家紋のみが当時を偲ばせているのである。

 

この鰻の井戸の霊験により、病も回復した実時ではあるが、寄る年波には勝つことはできなかったようである。

建治2年(1276年)10月、滞在していた称名寺のある六浦の館で生涯を閉じた。

享年53。

 

称名寺の裏には裏山へと続く獣道があり、その奥に向かってどんどん登っていくと北条実時墓所が残されている。


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いま、訪れる人もなくひっそりと草にまみれる暮石はどこか寂しげで、その静寂たるや聞こえてくるものは遠くのヒヨドリの声のみという静けさである。


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いま、この墓所の前に1人立ち、古い墓石に向き合うとき、文学を愛し金沢の名声を後世に残した北条実時が生きた古き鎌倉の時代に思いを馳せ、深遠なる歴史の淵に残り語り継がれてきた民話を思い浮かべ、ここにも時の流れのはかなさをそくそくと感じ、静かに合掌礼拝するのである。

 

 

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