1991年(平成3年)日本映画「金(キム)の戦争」
この作品は、映画というよりもフジテレビ系列で放送された「実録犯罪史シリーズ」というドラマの第1作にあたる作品です。
これは1968年(昭和43年)2月、在日韓国人二世の金嬉老(きんきろう、のちに改名し権禧老(クォン・ヒロ)、事件当時39歳)が犯した殺人を発端とする監禁籠城事件を描いたものです。
在日韓国朝鮮人(みうけんは在日コリアンという呼び方は好きではありません)に対して日頃から差別的な言動を取っていた警察官へ対し、テレビによる公式な謝罪を求め、記者会見を何度も開くなどし、事件は殺人事件から差別闘争へと姿を変えていきました。
しかし、金はのちにマスコミに扮した刑事に取り押さえられ逮捕されてしまいます。
映画にはあまり出てこないが、この事件により金は民族の英雄と祭り上げられ大きな歓迎をもって韓国へ帰国しますが、もともと粗暴な性格で少年院や刑務所を出たり入ったりしていたうえ韓国でも数々の暴力ざたを犯して韓国での人気も地におちてしまっています。
こんな衝撃的な事件を演じたのはビートたけしさん。ビートたけしさんといえば、タケちゃんマンや風雲たけし城のようなおちゃらけたイメージしかありませんでしたが、映画「説得」で苦悩する新興宗教の信者役に負けず劣らず、社会の闇を映し出す好演技を見せています。
金嬉老が生まれながらにして受け続けた民族差別。
朝鮮人だからと進学も就職も結婚もできやしない。いくら努力しても、「なーんだ、朝鮮人か!」の一言を言われ否定されてしまう。
その末に屈折した人生を歩み続けてきた金嬉老。
在日朝鮮人、在日韓国人と呼ばれる人は日本ではどうしたってヨソ者ですからね。田舎なんか行きゃ日本人同士だってヨソ者を受け入れないのに、そう易々と馴染めるわけがありません。
そうなりゃ、自然と群れ集まって河原などに住むことになる。下手したら言葉も通じないからまともな職にはつけず、貧困の最底辺に落ちる。
貧困は連鎖し、まるでカーストのようにまとわりつき、ひと旗あげるといったらヤクザになるかパチンコ屋を開くか。
金嬉老もその例に漏れず、少なくとも幸せにはほど遠い半生を歩んだ末の決行でした。
「善良な市民」ならばライフル銃やダイナマイトなど用意できないだろう、という意見もありますが、当時は今よりもずっと規制はゆるく、合法的に猟銃を所持することも爆発物を手に入れる事も今ほど難しくはなく、あいつぐ過激派の爆弾テロや銃砲店襲撃を経て、今の厳しい管理体制が敷かれた事を忘れてはなりません。
話は逸れましたが、いわゆる在日朝鮮人、韓国人はいつ、なぜ、何のために日本に来たのか。
彼らは、なぜそこまで日本人に嫌われ差別されてきたのか。
生まれた時、赤ちゃんの頃は純粋だったであろう金嬉老は、なぜそのような鬱屈した人生を歩まねばならなかったのか。
金嬉老を粗暴にしたのは誰だったのか。
金嬉老をただ粗暴なヤクザ者と切り捨てるのは簡単です。
では、なぜ、だれが、自立を目指して自動車整備士の資格まで取った金嬉老を粗暴なヤクザ者にまで身を落とさせたのか。
その原点に、樹木希林が演じる金嬉老の年老いたお母さんの姿があるのです。
刑事が何を問い詰めても、ひたすらに今日売りに出す豚足の毛を剃る老婆。
金嬉老が死んだら、新しい韓服に着替えさせてから荼毘にふしてやりたい、と拙い日本語で刑事に言うその姿。
わずか数分間のカットに、金嬉老が歩んできた半生の奥の奥を見たような気がします。
この映画は、そういった奥深い問題点を浮かび上がらせてくれる良作だと思いました。
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