鎌倉で最も有名な観光名所である鶴岡八幡宮から十二所、朝比奈と抜けて横浜市金沢区へ続く道があります。
いわゆる金沢街道という道でありますが、鎌倉時代からこの地域の大動脈となっている道で、この近辺には多くの史跡が残されています。
鶴岡八幡宮のあたりから金沢区に向かっていくと、清泉小学校ちかくに「岐れ道」という交差点が見えてきます。
この交差点から脇道にそれて少し行くと、右手にお地蔵さまがお座りになっておられます。
この辺りは発展著しい鎌倉の中でも、昔ながらの雰囲気の中に新しい建物も出来て新旧が入り混じった街になっています。
このお地蔵さまは、地元の方々から長いこと「魔の淵のお地蔵さま」と呼ばれてきました。
なんとも物騒な名前ですが、多くの人名を救ってきたと現在でも信仰する方は多く、たまにお花が添えてあったり赤いよだれかけが交換されているのを目にします。
魔の淵というのは、このお地蔵さまの脇にある小さなせせらぎの事です。
令和となった現代でも、どこか鬱々とした雰囲気のあるせせらぎですが、この小さなせせらぎには恐ろしい魔物が住んでいたといいます。
村人がこの近くを通ると、また旅人が知らず知らずのうちに近づくとたちまち魔物に攫われて、何人もの人が戻って来なかったといいます。
しかし当時の港があった金沢から鎌倉までの主要な道という事でそのままにもできず、近くの杉本寺の住職の発願で大正年間にこのお地蔵さまが安置されたのだそうです。
それまでは畑にしても作物もできず、魔物を恐れて人が寄り付かなかった場所だったそうですが、お地蔵さまが出来てからはこの場所は地蔵公園と呼ばれるようになり、あまり無気味な話は聞かなくなったということです。
また、鎌倉の由比には谷太郎太夫時感という長者がおりました。
時感には3才になったばかりの娘がおり、たいそう可愛がられていたそうですが、鷲にさらわれて食い荒らされてしまったということです。
両親は大変に嘆き悲しみ、鎌倉の至る所に供養塔を建てて回ったとのことで、今なお由比ヶ浜近くの「塔の辻」という名前にその名残を残しています。
この時に娘の血がしたたり落ちた川が魔の淵だとも伝えられており、幼くして無惨にもこの世を去った幼子の怨霊が生きる人を引き込むと噂されました。
お地蔵さまは無惨な死に方をし、死にきれずにこの世を彷徨う亡霊の手をひいて極楽浄土に案内してくれる仏さまと信じられていたため、この幼子の無念をお地蔵さまが救ってくださったのだとも伝えられています。
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