みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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知る人ぞ知る海軍英霊の墓地 横須賀の馬門山海軍墓地(横須賀市)

京浜急行電鉄新大津駅北久里浜駅の中間にあり、ちょうど線路の脇にありながら車窓からは見えず、その存在すらなかなか知られていない墓地がある。

この墓地の入り口は国道134号線の根岸5丁目交差点近くから入る路地のところにひっそりとあり、目立った看板すらなく、ここと言われなければ墓地の入り口ともわからないようなところである。

 
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入り口から続く階段を登りきったところに洋風の拝霊堂がある。

まるでカトリック教会の様式を模したようなモダンな造りであるが、それもそのはず、ここはかつての帝国海軍の殉難者たちを葬った海軍官営の墓地、馬門山墓地(まもんさんぼち)の拝霊堂なのである。

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この馬門山墓地は、かつての海軍省が戦争や事故などで殉職した海軍の軍人の為に明治15年に設けたものであるとされている。

戦前は海軍の横須賀鎮守府が管理をし、昭和20年に海軍が消滅してからは横須賀市が現在に至るまで管理を引き継いでいる。


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その敷地面積は約7400坪、実に24420平方メートルに及ぶ広大なもので、現在は公園墓地のように管理され、また一部には戦後に葬られた一般の方の墓地も混在しているが、基本的には上海事変や太平洋戦争で尊い命を御国に捧げた海軍英霊たち1592柱が今でも眠っている神聖なところである。
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墓石のひとつひとつは簡素な造りで、いかにも大量生産といったような感じがする。

デザインやサイズは皆同じで、既製品に名前と階級、命日を彫り込むだけのような簡素なものであるが、それは裏を返せばどんなに階級が偉くとも、経験を積んだ古兵であったとしても、最下級の二等兵や新兵と同じ墓石が使われ、並んで祀られたという事であもあろう。
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この、たくさん並んだ簡素な墓地のわきの上り坂を登っていくと、ひときわ開けた所がある。

ここには「特務艦関東殉職者碑」、「軍艦筑波殉難者之碑」、「第四艦隊遭難殉職者之碑」などが所狭しと並べられている。
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この墓地は、もともと明治初頭に国内でのコレラ大流行から始まったとされている。

現在では医療技術も発達し、ワクチンや抗菌薬も普及しているが、当時の日本はまだとうてい先進国とは言い難く、陸海軍でも多くの将兵コレラでの犠牲となっていた時期であった。

 

当時の海軍では、下士官以下が戦病死した場合、その遺体は横浜、浦賀、横須賀など軍艦の停泊地から船を雇用して、東京白金の東京海軍埋葬地に移送するのが主流であったという。

 

しかし、当時も今も天候の荒れには抗えず、一たび海が荒れれば遺体は何日も搬送を待つ場合があり、そのため遺体が腐敗したり病原菌を撒き散らすなどして衛生面に大きな問題が生じた。

 

そこで、東海水兵分営長から東海鎮守府に対する幾度とない請願もあり、遺体は一度火葬し御骨にしてから搬送するようになったのである。

このために、一時的に遺体を埋葬する墓地が不可欠とされて開設されたのが、現在の馬門山海軍墓地なのだという。
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この馬門山海軍墓地は、横須賀市民の中でも知る人ぞ知るといった存在。

今まで幾度となく三浦半島を原付で駆け巡り、多くの戦争遺跡を見てきたみうけんですら、その存在は最近まで知らなかった。

 

ここに葬られた人たち、一人ひとりにはそれぞれの人生があり、それぞれ殉難の際には言葉では語りつくせぬ逸話や武勇伝もあったのであろうが、今となってはそれを語る人もなく、ただ晩秋の夕暮れの中、もの言わぬ墓石だけが立ち並び、平和を満喫する日本人たちと横須賀の町を見つめ続けているのである。

 

 

 

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