1940年(昭和15年)アメリカ映画「チャップリンの独裁者」
喜劇王チャールズ・チャップリンが、戦時中のナチス・ドイツの指導者にして独裁者であるアドルフ・ヒトラーに扮し、笑いの中にもヒトラーとファシズムを痛烈に批判した映画であり、ヨーロッパにおいて数多の差別と迫害を受けたユダヤ人の苦悩も描いている。
名も無き床屋のチャーリーは徴兵され、砲兵部隊に配属されるが、ひょんな事から飛行士シュルツの命を助ける一方、祖国トメニアは戦争に敗れチャーリーは飛行機墜落のショックで記憶を失い20年もの間入院生活を送る。
その間にファシズムを信奉するヒンケル総統が台頭し、一気に独裁国家へと変わっていく。
高圧的でユダヤ人を差別する兵士はユダヤ人チャーリーを迫害し、記憶もなにもないチャーリーは抵抗し追われ迫害される身となる。
そこへ、常日頃からヒンケルの横暴な独裁体制に苦言を呈していた、高級将校になったシュルツもついに軍での居場所を失い、ヒンケルへの抵抗運動を組織する。
ヒンケルとチャーリーは外見がよく似ており、揃って強制収容所から脱走し、トメニア軍の将校に化けると、兵隊たちばかりか将校までがチャーリーをヒンケルと見間違えた。
ますます後に引けなくなったチャーリーは、数万の群衆や兵士を前にして演説をするよう宣伝相のガービッチから要請される。
そこでチャーリーが演説したのは、ヒンケルのファシズムとは決して相入れない、自由と寛容、平和と平等、徹底した人道主義と独裁者への反抗であった。
その演説を聞いた兵士や民衆たちの拍手喝采の中、チャーリーは絶望に泣き崩れていた恋人ハンナにラジオを通じて語りかけ、希望を感じさせながら映画は幕を閉じる。
この映画の特筆すべきことは、当時アメリカにとってはまだ友好国であり、共産主義に対する防波堤と期待されていたナチスとその幹部たちを徹底的にこき下ろしたこと。
これによりチャップリンは数々の脅迫や嫌がらせを受け、共産主義者のレッテルまで貼られるが、信念を曲げる事なく公開し興行は大成功を収めたという。
日本はドイツの友邦であったため戦前の公開は見送られ、日本で公開がされたのは戦後十数年たったころ。
日本でも大きな話題となり、過去最高レベルの興行成績を打ち出した。
ただの政治批判ではなく、深刻な問題の中にコミカルさをふんだんに取り入れ、それまでサイレント映画にこだわったチャップリンだが演説のリアリティさを出すためにトーキー映画にした、という逸話も興味深い。
映画好き、ヨーロッパ好きな方には是非見て頂きたい一本である。
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