みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。

夫に捨てられ 村人にも殺された哀れな「お糸」の伝説(大和市)

けたたましい爆音を響かせながら上空を飛んでいく戦闘機を見上げ、桜並木が美しい引地川沿いを原付で走り抜ける。春の温かな日差しと桜吹雪が一体となり、少しの寒さは残るもののこれからツーリングも楽しくなる時期であり、自然とスロットルを握る手に力がこもる。

 

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そうして引地川沿いを駆け抜けるうち、米軍基地と大和スタジアムに挟まれるようにして位置する小さな橋、「境橋」に出ることとなる。

 



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今ではすっかり川は護岸され、見渡す限りの住宅地が広がり、昔の風景など思い浮かべる事も出来ないが、この地域はかつては実にのどかな農村地帯であったという。


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このように、一見のどかで平和そのものの街にも、かつての悲しい伝説が残されているから実に興味深い。

 

その昔、この近くに、小林大玄(こばやしたいげん)という修験行者が、 お糸という妻とふたりで暮らしていた。

 

大玄は、村々をまわっては病に苦しむ人のために祈っていたために人望ははなはだ厚かったのだが、いっぽう妻のお糸は気の荒いガサツな女で酒ばかり飲んでいたので、事あるごとに大玄に諫められるのだが、その行いはまったく改まる事はなかった。

 

とうとう大玄は愛想をつかすと、何も言わずに村を飛び出してそのまま行方知れずになってしまったのである。

 

独りぼっちとなったお糸は、ようやく自らの非を恥じて大いに後悔し、あまりの寂しさと大玄恋しさに村々を巡って探し回ったが、ついに大玄に会うことはできなかった。

 

さんざ村人に迷惑をかけ、夫にも捨てられたとあっては村に帰り生き恥をさらすわけにもいかぬ。行くところを失ったお糸は、いつしか山に入ってひとりで暮らすようになったのである。

 

お糸はもともと大変な寂しがり屋であったのではないか。

なにしろ移動は全て徒歩、身分が高くなるか銭を持つものは馬か駕篭という時代である。大玄が村々を巡り病人を治すには数日泊まり込むこともあったろう。しかし、花街に通うならいざ知らず、病に苦しむものを救うためとあっては文句も言えぬ。

お糸が酒におぼれたのも、その寂しさ、大玄恋しさを埋めるためだったのかもしれない。

 

しかし、今や最愛の夫に捨てられ、村にも帰れず山の中での寂しい一人暮らしである。心は荒れ、着る物も汚れ、道行く人を見ては嫌がらせが高じて襲い掛かるようになってしまい、果ては村人から鬼の山姥のような扱いを受けてしまったという。

 

しだいに、村の子どもが泣く日があれば「姥の糸に食わせるぞ」とおどし、本当にお糸に食われた子供まで出たという噂までが広がり、ますますお糸の暮らす山に近づく者はいなくなってしまった。

 

次第にお糸は老婆ではなく山姥として扱われたので、村の男たちが集まり、山姥退治の話が出てお糸を殺してしまおうという話になった。

 

時は流れて春まだ浅きうららかな日。

満開の桜が咲き誇る小高い丘の頂で、見るも豪華な料理と上物の酒を並べ、村中総出で飲めや歌えやと花見の宴が催された。

聞こえ来る笛の音と歌声、美味しそうな料理の香り、笑う娘にはしゃぐ子どもたち。それをお糸は、山の奥からうらやましそうに眺めているしかなかったが、やがて日が暮れ、宴会もお開きになろうという時に、村人はわざと毒入りの酒と料理を置いて行った。

 

夜になってお糸は現れ、毒入りの酒を飲み、一人で毒入りの料理を平らげてしまったのである。そして、あまりの苦しさにあたりの草を一面すべてかきむしり、血を吐き涙を流して息絶えていたという。

村人は恐れてその亡骸を桜の木の根元に埋めてしまったが、それからというもの、その桜の木のもとにはお糸が幽霊となって出るようになり、また村人を恐れさせることになってしまったのである。

 

いままでは山姥とはいえ、実態はただの酒好きな人間の老婆だったし、殺すのはわけもなかった。村人は後になってやっとそのことに気づくが、時すでに遅し、である。

 

月日が過ぎ、身分の高い都の人(一説には僧とも)が旅の途中で村に立ち寄って、咲き誇る桜の下で休んでいたが、村人から可哀想なお糸の幽霊の話を聞くと、糸が埋められたところに行き花を手向けては、

 

 さがみなる 福田の里の山姥は いついつまでも 夫(つま)やまつらむ

 

と歌を詠み、お糸の霊をなぐさめ、村人には

「お糸は確かに酒を飲み乱暴を働く女だったやも知れぬ。しかし愛する夫を失い村人からも追い立てられて、その寂しさや悲しみはいかばかりだったであろう。お糸は夫を待ち続ける優しい女だったのではないか。ぜひとも、お糸を祀り供養してやるがよかろう」

と言い残して去っていった。

 

村の者たちは、お糸の事ばかりを責めるばかりに、自分たちがお糸を追い詰めてしまっていたことを深く反省し、お糸をねんごろに供養すると、鎌倉の建長寺に赴き立派な優婆尊尼(うばそんに)の像をもらって来ては小さなお堂を建ててお祀りしていたが、いつしか下福田の蓮慶寺に納めて「子育ての姥さま」としてあがめられたという。

 


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この蓮慶寺真言宗大覚寺派の寺で、静かな境内ながら堂々として風格のある本堂は一見の価値がある。


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このお寺に安置されているという優婆尊尼(うばそんに)の像であるが、残念ながらお留守で拝観はできなかった。(そもそもアポとってないw

しかし、境内に建てられた案内板には写真が掲載され、わざわざ胸をはだけさせて垂れ乳を見せるその意図は良く分からないが、憤怒相と言われているお顔の中にも愛嬌と優しさ、どことなしの寂しさが垣間見えるような気がするのは、みうけんだけであろうか。


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このお寺には、近代のお墓ももちろんあるが、傍らには五輪塔や苔むした地蔵尊、海軍兵士の慰霊塔なども草に埋もれるようにして並んでいる。


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いま、この寺の前で、夫を失い村人からも目の敵にされた哀れなお糸の事を考えると、愛するものを失い一人で生きて行くことの辛さ、悲しさが胸にこみ上げ、挙句の果てに村人に毒を盛り殺されてしまう哀れな老婆の無念を思う時、この世の無情と悲しみに一筋の熱い涙が頬を伝うのである。