みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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先人の苦労と信仰の名残 山王稲荷社と湯花神楽(横浜市瀬谷区)

横浜市瀬谷区を縦断して泉区を通じ、境川へと注ぎ込む和泉川は、どこを切り取ってものどかで牧歌的な風景を見せてくれる、みうけんのお気に入りの川です。

 

その中でも、瀬谷区の宮沢というところは、古くから開墾されて栄えてきたところです。

 

ここ山王橋を渡ったところに、稲荷神社に特有な真っ赤な鳥居の神社が残されているのが見て取れます。

 

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この鳥居をくぐって中に入ると、二棟の祠が仲良く並んでいるのがわかります。

向かって右側が稲荷社の祠、左側が山王社の祠で、この2社をまとめて地元では「山王稲荷社」と呼んでいます。

 

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この山王稲荷には謂れがあり、時は江戸時代の初めごろの慶安年間(1648〜1652年)から承応年間(1652〜1655年)まで遡ります。

 

当時、ここから少し離れた上矢部村を所領としていた、石川六左衛門という旗本がいました。

この石川六左衛門は上矢部村の名主であった佐藤家の郎党数名へ、北へ10キロほど離れた現在の宮沢の地を開墾するように命じたのです。

 

当時、宮沢は至る所に杉をはじめとした巨木大木が生い茂り、その根本ではイバラやカヤがヤブとなって行くてを阻み、住むものといったらキツネやらタヌキ、はては毒蛇ばかりといった、およそ人間の近寄らないようなところでした。

 

そんな場所でしたから、開墾の作業は生やさしいものではなく、朝は暗いうちから木を切り倒し、夜は月灯りを頼りに根を掘り出すといった大変なものでした。

 

やがて、当初の佐藤家の家来に加え、石井家、広瀬家、山中家が、さらに上矢部あたりからは岩崎家、小川家などが入植して開墾をすすめ、元禄年間(1688〜1704年)ごろに開墾が仕上がったと言われています。

 

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そして、いつしか努力は実るもので、しだいに田畑もふえて石高を伸ばし、子孫は繁栄して分家も十数軒を数えるまでになったのです。

 

宮沢の里を開墾した人たちは、この開墾が無事に成功するようにという願いの気持ちを込めて農耕の神を祭るとともに、毎年の春には欠かさず豊作を願う神楽を奉納していました。

 

この農耕の神が現在も残る山王稲荷社で、この時に奉納された神楽は「湯花神楽」(ゆはなかぐら)と呼ばれ、大変艶やかなものだったそうです。

 

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というのも、祖先たちが苦労して開墾していた頃をしのんだ氏子たちは、山王さまの境内に切った野芝を積み重ねてかまどを作り、その上に大釜を乗せて湯を沸かします。

 

そのかまどの東西南北には竹が立てられて〆飾りを張りめぐらせ、湯気がもうもうと立ち昇る中で神主が天狗の面をつけ、立ち込める湯気の中で祝詞をあげると、笹の葉を湯に浸けて里人たちに振りかけてお祓いをしたということです。

 

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やがて神主によって、四方に向けて幸運の矢が放たれると神事も最高朝に達しました。

湯気をくぐりぬける矢には大変な御利益があると信じられ、この矢を拾おうと皆が無我夢中になったということです。

 

しかし、時代も降ってくると、のどかだった宮沢の里も次第に宅地開発が進んで農家の数も減少していきました。

 

時代は明治時代になり、明治政府の一村一社令などの弾圧にも耐え、資産を没収されそうになった時も佐藤家の個人所有名義としたので、難を免れたと現地の説明看板には記載されています。

 

この山王稲荷社の湯花神楽は、昭和の初期までは行われていたものの、いつしかその伝統も失われてしまったということです。

 

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いま、山王稲荷社の下を流れる和泉川にかかる山王橋から宮沢の里を眺めるとき、緑が残るのどかな風景の中に開かれた土地や家々が並ぶのが見え、かつてここに生きた人々が朝な夕なに汗水を流した開墾時代の日々が偲ばれ、感慨もひとしおです。

 

 

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