横浜市営地下鉄、踊場駅2番出口の脇には、一基の古い石塔が残されています。
立派な屋根が与えられ、いつも花の絶えないこの石塔は「踊場の寒念仏供養塔」と呼ばれています。
その正面には、確かに「南無阿弥陀仏」「寒念仏供養」と大書きされています。
寒念仏とは、とても寒い季節に30日にわたって行われた修行で、明け方の一番寒い時間に山野に出て、ただひたすらに念仏を唱えるというものです。
もともとは僧侶の修行としては主なもののひとつでしたが、やがて仏教を信仰する在家信者の間でも広く行われるようになりました。
この「踊場の寒念仏供養塔」は、元文2年(1737年)の旧暦11月、近くの中田寺(ちゅうでんじ)の住職ら、5人の僧が念仏修行した記念として建立されたものとされています。
上の写真を見るとよく分かりますが、この「踊場の寒念仏供養塔」には多くの猫の置物や人形が奉納されています。
これは、この地に伝わる伝説から、この「踊場の寒念仏供養塔」が猫の供養塔とも信仰されている証でもあるのです。
この伝説のため、踊場駅には猫をモチーフにした装飾が多く見られます。
今回は、この猫にまつわる装飾を見ながら、踊場に伝わる伝承を「神奈川昔話集」から紹介していきたいと思います。
むかし、戸塚宿にあった「水本屋」という大きな醤油屋に、トラというメスの猫がいました。
そのころ、水本屋では手ぬぐいが毎夜にわたって1本ずつ無くなってしまう、という不思議なことがおこっていました。
いかに手ぬぐいとはいえ、不思議に思った主人は、手ぬぐいに紐をつけ、その先を自分の手に結びつけて寝ることにしたのです。
そんなある夜のこと、主人の手がグイと引っ張られたので目を覚ました主人は慌てて紐の先を追うと、そこには手ぬぐいを咥えて逃げようとするトラの姿があったのです。
手ぬぐい泥棒は猫であったか、めでたしめでたし。とこの話は終わりましたが、ある月夜の晩に主人が村はずれを通りかかった時のことです。
脇の丘の木陰から、やけに賑やかな歌声が聞こえてくるではありませんか。
不思議に思った主人がこっそりと覗くと、そこではたくさんの猫たちが手ぬぐいをかぶって踊っていたのです。
猫たちは踊りながら、口々に「水本のトラがいないと、調子が乗らねぇな」とぼやいていたところにトラがやってきました。
トラは、今日の餌が熱いオジヤだったので舌を火傷し、うまくしゃべれないし、約束には遅れてしまったと話していました。
これに驚いた主人は、慌てて家に帰ると奥さんに一部始終を話しました。
確かに、トラには熱いオジヤを出したということで、なるほど手ぬぐいはトラたちの集会に使われていたのだという事を悟り、それからはトラのところへ新しい手ぬぐいを置いてやり、汚れると洗ってやったということです。
この話は瞬く間に村人たちの間で評判となり、その丘はいつしか「踊場」という名前で呼ばれるようになったという事です。
しかし、このような話が広がればだれもが興味を示すもの。
踊場には多くの人が、猫の踊りと一目見ようと押し掛けるようになり、当然のことながら猫も踊りをやめてしまったばかりか、トラも水本屋から姿を消してしまったのだそうです。
その伝承はいまなお大切に語りつがれ、踊場駅はもちろんのこと、駅前のケアプラザなどでも猫にまつわる装飾を取り入れています。
いま、駅前は猫が踊ったといわれるうっそうとした森から、街道も大きく開かれた発展した街へと変わりました。
もはやこの街で猫が手ぬぐいをかむって踊ることは無いかもしれませんが、この可愛くも楽しい言い伝えは、いまなお泉区の人々の間で大切に語りつがれ、親から子へと継承されているのです。
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