京浜急行の馬堀海岸駅と北久里浜駅に挟まれた大規模なニュータウンがあります。
そのうち、吉井というところの山側に立派な鳥居を見つける事が出来ます。
この神社こそが、ここ吉井の総鎮守である「安房口神社」、通称「安房口明神」です。
鳥居の奥の参道は昼なお鬱蒼として暗く、大通りに面していながら聞こえてくるのは梢のこすれる音と鳥のさえずりばかりという静かなところで、まさに幽遠の趣を今に伝えています。
この参道を歩いているだけでも、どこか遠い異世界へと迷い込んでしまいそうな不思議な雰囲気を感じます。
やがて、このこの安房口明神の本殿といえるかどうか、御神体のところにたどり着きます。
ふつう、神社というものは手前に拝殿があり、その奥に本殿があるものですが、この神社にはそのような建物は一切ありません。
小ぶりな鳥居の奥には、新しい常夜灯と狛犬が鎮座され、その奥に御神体とされる自然石が檻に囲まれて祀られています。
歴史史料である 「三浦古尋録」をひもといてみました。
その中には、
此(この)明神 社モナク華表計(とりいばかり)ニシテ
石一ツ 山上二有
と記載されています。
このことから、長い間この安房口明神は社殿を持たなかった古式の神社であることがうかがえます。
遠い昔のこと、千葉県が安房国と呼ばれていたころ、洲崎というところに安房ロという明神さまが祀られていました。
その明神には竜宮からやってきた竜神石という霊石があり、その石には口(くぼみ)がありました。
はじめ、洲崎の村人たちはこの竜神石を立てて口に水をため、手水鉢として使っていましたが、これにたいそうお怒りになった竜神石が明神の境内から飛び去ってしまい、東京湾をこえて三浦半島まで飛んでいってしまったということです。
洲崎から竜神が飛んできて鎮座される話は、横浜市港南区にも残されており、なにか関連があるのかもしれません。
そういえば、この笹下の話でも、ここ横須賀の話でも、飛んできたご祭神は「天太玉命」という神様なのです。
まさに、いま安房口神社に祀られている御神体がその竜神石であり、確かにこの石の前面には口のようなくぼみが残されています。
それから、この石が霊石であるとして神聖視されるようになると、この辺りの里人たちはここを安房口明神として祀り、特に安産と出産に霊験あらたかと信仰されていました。
願い事があればこの石に願をかけて玉石を持ち帰り、その願いが成就すると玉石を二つにして返したという事で、今なおこの霊石の周りにはたくさんの玉石が奉納されているのです。
いま、この霊石は厳重な檻に囲まれてしまい、その様相はいたずらや盗難の防止というよりも、むしろ再び飛んで行ってしまうのを防ぐために閉じ込めているかのような錯覚さえ受けます。
このような山奥の神社でありながら、傍らには「小御岳石尊大権現」や「牛宮五頭天皇」刻まれた石碑も大切に祀られ、綺麗に掃き清められて、ここが今なお人々の信仰の中に大切にされていることが容易に想像できるからです。
この幽玄な雰囲気の境内に、どすんと鎮座されている不思議な竜神の霊石に手を合わせて祈りを込めるとき、この石が遠く千葉から飛んできたという民話の面白さと、日本神話の自由な発想にますます興味をいだいたのは言うまでもありません。
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