JR東海道線の真鶴駅は、交通量も多い国道沿いにありながら、南からは海風が吹き付け、背後に山並みを控えた心地よい立地にあります。
現在では東海道線しか走っていない真鶴駅ですが、東海道線が開通する以前は人間が小さな列車を押して歩く「豆相人車鉄道」の真鶴駅も近くにあったそうです。
この真鶴駅前にはバスロータリーがありますが、このバスロータリーの中の、中州のようなところが小さな茂みになっており、いくつかの石碑が建てられたりしています。
その中でもひときわ目立たず、小さくて苔むし植木に埋もれてしまった一基の題目道標(だいもくみちしるべ)を見つけました。
題目は「南無阿弥陀佛」と陰刻されています。
写真では分かりづらいですが、質実剛健として力強い筆記で、しっかりと深めに彫られ、なかなか読みやすい書体です。
「南無阿弥陀佛」以外には観世音菩薩と彫られ、右 阿たみ・左 ?なつる(「まなつる」と思われます)とも読み取ることが出来ました。
荒井城入り口とも彫られていますが、荒井城は平安時代後期に後三年の役が勃発した際、源義家がわに従って奮戦した荒井実継の居城だと言われており、戦国時代には小田原北条氏の拠点となったと言われています。
現在、城跡は「荒井城址公園」として整備されているそうなので、いつかは行ってみたいと思います。
この道標は、かつて街道の辻、つまり交差点に立っていたのでしょう。
スマホはおろか、詳細な地図もカーナビもなかった時代、多くの旅人たちが頼ったのがこうした道標と簡素なガイドブックでした。
この道標は、もともとは真鶴駅の貨物ホーム南側にあったそうですが、いつしか現在の位置に移されたそうです。
これは、観音巡礼をしていた巡礼者たちのために建てられたものでしょうか。
それとも、一心に救いを乞えば、あらゆる災厄と苦しみから衆生を助け、救い上げてくれるという観音菩薩の功徳が、旅人にあまねく行きわたるようにと願いを込められて建てられたものでしょうか。
今ではこの道標をたよりに旅をする人はいないと思われますが、役目を終えた今でも街の辻の中心に堂々と立ち、道行く人々を見守り続けているのです。