衣笠駅より南側の、広大な丘陵を開いて作られた公園が衣笠公園です。
この広大な衣笠公園の片隅に鎮座されているのが衣笠神社であり、祭神は大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)という神様です。
その衣笠神社の創建に関しては詳らかではありませんが、もともと三浦大介義明公の居城であった衣笠城の縄張りの中に、この地域の鎮守であった藏王社がありました。
明治45年3月26日、明治政府による愚策「一村一社令」により、その藏王社に多くの神社が合祀されました。
その内訳は
○衣笠村にあった5社
○小矢部村の4社
○金谷村の2社
○大矢部村の6社
○森崎村の2社
○池上村の3社
合計21社という膨大なもので、さらに別に鎮座されていた村社「皇大神社」へ合併し、大正2年9月1日に現在の衣笠神社という名に改めたのだそうです。
しかし、大東亜戦争が終結し、政府の力が神社に及ばなくなると、各町村が「我が神社を我が村に」と復興の動きが見え、さらに各町村からはあまりに遠く、坂道も厳しく参拝が困難であるという理由から、いくつかの神社はもとの各町村の当時の地に分祀復旧されています。
その結果、神社には通常一対であるはずの狛犬が、この神社には何対か残されることとなりました。
いろいろな神社から持ち寄られ、そのままになったようで、どれもが様式の異なるもので、違う時代に違う石工の手によってつくられた事を物語っています。
それらの目はなぜか赤く塗られています。
自然石の風合いの中に輝く真紅の目はひときわ鮮やかで、どこかしら周囲を威圧する威厳すら感じさせます。
この狛犬は、どこからやって来て、どのような気持ちでこの衣笠の町を見守っているのでしょうか。
ここに残された狛犬、神宝、鳥居、そして石祠などは、どれもがいろいろな地から寄せ集められたものです。
行き場を二転三転するそのさまは、まさに流転の旅と形容しても間違いではないように思います。
それぞれ、神社に祀られた神様には由来があり、ご縁があってその土地に祀られ、だからこそ多くの村人から愛され大切にされてきました。
それを明治政府の政策によって破壊し、村人から神社を奪った愚策は本当に残念な事です。
神社の本殿裏に上ると、小さな浅間社があります。
そこからははるか遠く、新緑まぶしい木々の梢の合間に、平和な衣笠の町並みを望むことが出来ます。
この衣笠神社に祀られた神様たちは、本来違う土地に生まれながら、その真意に反しながらも今日も平和な衣笠の街を見守っていることを思い出し、そっと手を合わせたのでした。