小田急線と御殿場線が交差する新松田駅・松田駅の界隈は、チェーンの居酒屋や商店が並んで人通りも多く、この近辺では小田原駅に次ぐ発展ぶりであるが、その中にもどこか風情を忍ばせたたたずまいは独特である。
今から25年も前になるが、友達と連れ添って丹沢へキャンプに行くのが恒例行事になっていた。
キャンプとは言え車の免許すら持っていない年のころであるから、移動はもちろん電車とバスと自分の足だけがたよりである。
インターネットも携帯電話もない時代に、使い捨てのカメラと地図、冊子の時刻表を握りしめ、荷物でいっぱいになったリュックを背負って山へと向かった日々は昨日のことのようである。
横浜線の小机駅から横浜線で町田へ出て小田急線に乗り換え、新松田で御殿場線に乗り換えて谷峨駅からバスに乗り、丹沢の玄倉渓谷を目指したのであるが、その時に見かけて至極気になっていたのが、このマニラ食堂なのである。
なんと、あれから25年もたっているのに往時のままここに建ち続けていた。
建物が傷んでいるふうでもなく、2019年の超大型台風の時に張られたものだろうか、窓には✖の字のように養生テープが張られている。
看板には、「中華 マニラ食堂 和食」とあるが、マニラというのはどう考えてもフィリピンの首都のマニラのことであろう。
中華とフィリピンと和食。
この関連性のなさ、大宇宙のような無秩序さはなんなのか。
実は、この25年間に何度も気になって、一度は訪れてみようと思ったものである。
しかし、これだけのために新松田までいくこともなかったので、そのままにしたまま、いつか閉店してしまったようである。
いつだったか、どなたかがこのお店で食べたというラーメンの写真をブログにアップされていたが、普通においしそうな醤油ラーメンでマニラ感はまったくなかった。
ではなぜマニラなのかというと、どうもこのお店の初代の店主さんが兵隊さんだったころ、マニラ戦線で戦った思い出からマニラ食堂としたらしい、とそのブログには書かれていた。
とても気になっていたお店が、一度も行かずして閉店してしまった悲しい現実。
この思い出が、今まで食べてきたものを記録していこうという食べロガーとしての契機になったのかもしれない。
今となっては閉店し、玄関に二度とのれんがかかる事もないのであろうが、この片田舎の、つぶれたままの食堂も、また我が人生の1ページなのである。