今回は、ジブリ映画の傑作中の傑作とされ、世界中でも不動の人気を誇る「千と千尋の神隠し」について。
ナウシカやラピュタで育ったみうけんとしては比較的新しいジブリ映画のつもりでしたが、公開からもう20年近くも経っているのですね。
こんなところにも、時の流れの早さを感じます。
もう皆さん一回は見たでしょう、という事にて、内容に関する詳しい説明などは省かせて頂きますが・・・
10歳の千尋という女の子の一家が異世界に迷い込み、豚にされてしまった両親を救うために八百万の神様が疲れを癒しに来る湯屋で孤軍奮闘する話です。
この映画の中で、実はひそかに気になっていたキャラクターがこちら。
千尋を取り囲んでいるのは、湯屋で働く女たち。彼女らは蛞蝓女(なめくじ女)というらしいです。
映画の中では「蛞蝓女」という名前は出てこなかったと思いますし、時折カエルの姿で出てくる男たちとは違い、ナメクジの姿に変わる事はほぼありません。
ちなみに湯屋で働く男たちはカエルの化身で、ナメクジ女とカエル男たちは一様に人間らしい格好をしながら、どこか人間離れした雰囲気をも持ち合わせています。
千やリン、他の女の子たちは明らかに人間らしい姿なのとは対照的です。
そして、このナメクジ女は、しばしば無駄に色っぽかったりします。
みんな綺麗に化粧をして、わざわざ服をはだけさせたりして。風で服がめくれてるのに嬉しそう。
駿ちゃんのエッチw!!
実は、このナメクジ女は、どうやら湯屋で働く湯女(ゆな)だという事らしいです。
湯女というのは主に江戸時代に風呂屋にいた売春婦のこと。こちらが本物の湯女を描いた絵ですね。
また、こちらは映画「蜘蛛の湯女」(1971年)のワンシーン。江戸初期の湯女を描いたもので、なんとなく「千と千尋の神隠し」のナメクジ女を彷彿とさせます。
湯女について、Wikipediaによると
湯女(ゆな)は、江戸時代初期の都市において、銭湯で垢すりや髪すきのサービスを提供した女性である。中世には有馬温泉など温泉宿において見られ、次第に都市に移入された。当初は垢すりや髪すきのサービスだけだったが、次第に飲食や音曲に加え売春をするようになったため、江戸幕府はしばしば禁止令を発令し、江戸では明暦3年(1657年)以降吉原遊廓のみに限定された。禁止後は、三助と呼ばれる男性が垢すりや髪すきのサービスを行うようになり、現代に至る。あかかき女、風呂屋者(ふろやもの)などの別称で幕府の禁止令を逃れようとした歴史があった。
と解説されており、表向きは銭湯で垢をかいたりする稼業をしながら、裏では体を売っていた女性たちをいうようです。
そういえば、映画の片隅には「回春」という文字が出ます。もともとは新しく春がやってきて、森羅万象に力がみなぎる時季のこととされていますが、意味が転じて減退していた精力が回復するという性的な意味ももっています。
また、江戸期では体を売る女たちの中には、先に借金をし、その借金を身体で返す、という事がありました。
見事に借金を返し終わると年季明け、もし裕福な男性が女を見初めて多額の金で買い取れば身請けというのですが、千と千尋の神隠しの中にも、年季明けした女たちの名がハナマル入りでチラリと張り出されています。
千が最初に湯婆婆に言われた「いちばん辛いきつい仕事を死ぬまでやらせてやろうか?」という言葉も、女として客を選べない辛いきつい仕事とは何なのか、とという事を示唆しているかのように思えてきます。
また、カエル男たちは走り回って八百万の神様たちを案内したり、料理を作ったりしているシーンがちょくちょく出るのに対して、ナメクジ女が働いている姿はあまり出てきません。
カオナシが暴れている時には、砂金欲しさにうじゃうじゃ出てきますけれど、働いている姿はあまり映されないんですよね。
もしかしたら、彼女たちが働いている姿をあまり映画で表現できない、大人の事情があったのかも知れません。
そう考えてみると、何やら名のある河の主が、溜まりに溜まったものをすっかり出し尽くして、スッキリして帰っていくシーンも、何やら意味深なように思えてしまうのです。
深いですね、映画って。
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