圏央道相模原愛川インターチェンジの脇、相模原ポンプ場の裏道は、決して地元の人しか通らないであろう地味な道であるが、隠された歴史というのはこのような所にこそ潜んでいるものである。
かつて、この辺りには古墳群があった。谷原古墳群である。
現在はポンプ場の敷地内にありながら、数基は状態よく保管されて敷地外から見学ができるというから、文化財を目の敵にしてわざわざ破壊するY浜市とはえらい違いですね、文子さん!!
ところで、ポンプ場が作られる、はるか昔のこと。
おそらく近世後期のころかと言われているが、谷原古墳群の中の一つの塚が発掘され、直刀が一本掘り出された。
たいへん珍しいものだったので、それを八瀬川の代官、関山家のところへ献上したのである。
しかし、その日を境に代官の老母が突如眼病となり、ついに失明するに至った。
不吉と思った代官は、ただちに直刀を返しにきたが、そのような理由で返されたのでは村人たちも困ってしまう。
話し合った結果、今度は当麻山無量光寺へ預けた。ところが、その住職がまた同じように目を患い失明してしまったのである。
これはいよいよ剣の祟りに違いないと、もと掘り出した塚に持ち帰り、ふたたび地中に深く埋めて、その上に祠を建立して金山神社と称したのである。
現在、ここには小さな祠が建ち古墳群の南端の相模川を望む断崖の上にあり、埋めた後も時折り地中から光り物がしたと言い伝えられている。
この祠の右わきには小さな荒れ果てた塚があるが、これこそが谷原古墳群4号墳であり、この直刀が出てきた塚というのはこの4号墳の事なのだろうか。
この金山神社は小さな社でありながら、木々に囲まれて昼なおうっそうとして薄暗く、この社もそうであるとはいえ固く閉ざされた扉とすり切れた注連縄が、よりいっそう鬼気迫るものがあり、近寄りがたい雰囲気を醸し出しているかのようである。
いま、村人から恐れられ、下にも置かぬ丁重な扱いで社に安置された金山神社であるが、時は移り変わり、恐ろしげな伝説もいつしか語られることも少なくなり、人間が作り出した鉄塔が神社を見下ろすようにもなると、ここにも時の流れというもののはかなさをそくそくと感じるのである。