みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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不思議な伝説を今に残す 長井の長徳寺(横須賀市)

三浦半島の西端、横須賀市長井の里にある浄土真宗長徳寺はかつては天台宗の古刹で、もともとの本尊は不動明王だったという。

現在ではお彼岸の時期にでもならなければ訪れる人も少なくて、まさに静寂の一言が似合うような静かなお寺である。

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この長徳寺の本尊であった不動明王には、不思議な伝説が残されている。

 

昔、永井の海岸に大きな材木が流れ着いた。

かなり大きな材木で村の人々も珍しがるほどであったが、その材木は夜になると人の声ですすり泣くようになったという。

たちまち周囲の村々にこのうわさが広がり、決してよろしい前兆ではなかろう、しかしどうすれば良いのかも分からぬと、村人の間には動揺と困惑が広がっていったのは見るまでもなく明らかであろう。

 

そこに、関東各地を遊行していた行基がこの話を聞いて、行基はこの材木を見てみると、果たしてその材木は奈良の長谷観音を刻んだ残りの材木であることを察したのである。この材木を哀れに思ったか、行基は一心にこの材木を削って一体の不動明王を彫り上げた。これがのちの長徳寺の本尊となったという逸話が残されている。


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長徳寺は山号を中島山精華院と号するが、これは各地を遊行中に水に困った行基が手にしていた錫杖で地面を一突きしたところ、そこからあふれんばかりの水が噴き出して井戸となったのが由来ともされているのだという。

 

その後、室町幕府関東管領であった足利氏満の文章が納められたことから関東管領祈願寺であったと伝えられ、文明年間(1469~1487)には親鸞の門弟であった念僧がこの寺を修行地としたために浄土真宗に改宗して現在に至るのだという。


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現在、山門の脇の鐘楼のもとには寛文12年(1672年)に長井村の名主の先代である龍崎七郎座衛門が寄進したとされている、高さ1メートルもあろうかという石製の手水鉢が残り、往時の面影を今に残しているのである。

 

 

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