東海道をどこまでも西進し、やがて箱根の山の奥深くに入っていく。しばらくはうっそうとした木々の脇に早川の清流が流れ、その隙間を埋めるようにして温泉旅館が立ち並ぶ風光明媚な温泉町が続くが、宮ノ下の交差点からさらに奥に進むと、喧騒も人並みも途切れた山道を進むことになる。
この先をどこまでも進んでいくと、やがて道は乙女峠の、その名も「乙女トンネル」にさしかかり、このトンネルの先はとうとう静岡県なのである。
このトンネルの少し手前に、猛スピードで走る車では見落としてしまいそうな小さな地蔵尊が苔むして立っているのが見て取れるのであるが、これは箱根の山奥に今なお伝わる悲しい伝説を残す乙女地蔵と呼ばれる地蔵尊なのである。
むかし、ここから少し離れたところに貧しい農家があり、源蔵という父親と一人娘が暮らしていた。
その娘は名を乙女といい、村一番の器量良しで、働き者なうえ性格も優しく、村の皆から愛されている娘であった。
しかし、父の源蔵は病弱な上に年老いて、いまや畑仕事はおろか立ち歩く事すらままならず、乙女は昼は畑仕事、夜は家事をこなす忙しい日々を送っていたのである。
乙女が年頃の17才になった頃、毎夜のように乙女が床を抜け出しては出かけて行くようになっていた。
最初は気にもとめなかった源蔵ではあるが、あまりにも毎夜の事、どこかに男でも出来て毎晩通っているのではないかと気になり、夜も眠れぬようになってしまったのも当然のことであろう。
この日も、吹雪が吹き止んだばかりの寒い夜であったが、源蔵が寝たものと思って乙女がそっと家を抜け出していくので、源蔵はいても立ってもいられず痛む体にむちを打ちながら寒空の中を歩き、娘の足跡を頼りにつけていったのである。
すると、あろう事か娘は引き返してくる途上で、雪の中に倒れていた。
源蔵は驚き、すぐにでも抱き起こそうとしたが、ハッと思い返し親に内緒で出かける罰である、吹雪も止んだしもともと頑強な娘だからすぐに起き上がるであろうと、倒れたままの乙女を横目に見ながら足跡の先をたどっていったのである。
すると、その足跡は乙女峠の地蔵堂まで続いて引き返していた。たまたま薪を取りに来ていた堂守に話を聞くと、3ケ月も前から毎晩お参りに来る娘がいる、その娘は自分の命を縮めてもよいから父の病気を治してくれるよう地蔵に一心に祈っていたが、今日がちょうど100日の満願日になる、との事であった。
娘を疑った心の狭さに大いに恥じ入った源蔵は、大急ぎで引き返しては娘を抱き起こしたものの、乙女はすでに息絶えて冷たくなっていたのだという。
いま、この地蔵堂は失われて地蔵尊だけが苔むして残り、周囲は車通りも増えてこの地蔵に歩みを止める者すら見なくなってしまったが、この父親思いの乙女の伝説は今なお連綿として語り継がれ、その名は峠の名となり、トンネルの名となり、峠をこえた「ふじみ茶屋」の上では恋人たちが鳴らす「乙女の鐘」の音が鳴り響いている。
いま、この乙女峠の乙女の鐘の前に立ち下界を眺めれば、遥か遠くにどこまでも続く町並みを眺めることが出来る。
この乙女の鐘を聞きながら、乙女峠の名前の由来を思い起こすとき、たった二人で生きてきたかけがえのない家族を失うことの恐れと、心優しい乙女の心情が鐘の音となって心に響いてくるようで、ここに時の流れのはかなさと生きていくことの悲しさを思い起こさせるのである。