本厚木から愛川へと向かう国道412号線を北上して、公所海道の交差点から左へ入る脇道にそれ、また412号線に沿うようにして北上していく。
しばらく進んでいくと荻野川に源氏橋という橋がかかり、その脇には目立たない石碑がひっそりと残されているのを見る事が出来る。
この源氏橋のあたりを昔から源氏河原といい、かつて源頼朝が石橋山の闘いに敗れた日までさかのぼる伝説が残されている。
源頼朝が石橋山の闘いに敗れ、もともと源氏のゆかりあるこの地に落ち伸びて荻野川の水で喉を潤したが、そのあまりの風光明媚さと、周囲を山すそに囲まれた立地が気に入り、「もしここに百の谷戸あらば天下にまたとなき要害の地なり」として再興の拠点としようとしたのだという。
しかし実際に数えてみると谷戸は九十九しかなく、たった一つだけ谷戸が足りぬはかえって縁起が悪いと、この地をあきらめて鎌倉の地を再興の地と決め、のちの鎌倉幕府につながったのだという。
現在、その橋のたもとには
弘法大師に里芋あげて 村の息災祈りたい
陸奥七郎が館の跡は ここらあたりか源氏橋
の碑が建ち、源頼朝の祖先にあたる陸奥七郎(源義隆=源頼朝のひいひい爺さんの七男)の館があったという言い伝えを今に示している。
弘法大師に里芋あげて、というのは前回の記事で紹介した石芋の伝説が、ここ厚木にも息づいているのであろうか。
いま、この源氏河原に伝わる話も史料に乏しく、あくまでも言い伝えの範疇を越えないものであるというが、このようなひっそりとした里の奥にも華やかな鎌倉幕府の立役者となった源氏の逸話が残されていることを想うと、ここにも歴史と民話というものの面白さをひしひしと感じるのである。