箱根の小涌谷から芦ノ湖に続く国道1号線は、平日であれば通る車もさほど多くはなく、二子山の麓から眺める箱根の山々は初夏の彩りも美しく、まことツーリングには最適の時季である。
国道一号線は最近になって新しく造成された新道であるが、その脇に今も残る精進ヶ池の周囲には数多くの石仏が残されて、この池に沿った獣道がかつての旧道であったのであろう事を今に示しているかのようである。
そんな獣道を、藪こぎをしながら歩いていくと、今にも藪の中に埋もれてしまいそうな磨崖仏の地蔵菩薩が草むらの中にあり、よく注意していなければ見落としてしまいそうではあるが、これは地元では応長地蔵と呼ばれている。
これは応長元年(1311年)に刻まれたことから応長地蔵と言われているものの、その由来はあまり詳しくはわかっていない。
この地蔵は別名「火焚き地蔵」とも呼ばれ、戦前までは近くの宮城野部落の住民たちが新盆のときに集まり、この地蔵の前で盆の送り火を焚く慣わしがあったのだという。
また、応長地蔵から少し離れたところには、「八百比丘尼」(やおびくに)の墓と伝わる宝篋印塔の残骸が残されているが、これはすでに江戸時代にはこのような姿であったとされている。
ここに出てくる八百比丘尼とは、現在の福井県で800歳を越えるという驚異の長寿を成し遂げた伝説の女性であり、諸国を渡り歩いては仏道を説いたという伝説が全国に残されている。
このように、旧道には由来すらはっきりとしない地蔵尊や磨崖仏、宝篋印塔などが数多く残されているが、これらもまたこの地で長く旅人を見守り続け、地獄の果てとまで形容された荒涼とした精進ヶ池のほとりで、不安と疲れにおののく旅人達を励まし続けた生き証人なのである。