逗子海岸の南側、相模湾に突き出るような逗子マリーナのさらに南側には森戸海岸という海岸がある。
夏の時期は遠浅の海水浴場として人気があるが、海水浴シーズンでもない春先には訪れる人もまばらで、見えるのは漁船と漁業用の浮き、そして七桶磯に打ち寄せては返す波だけという寂しさである。
従来、森戸海岸は長い長い砂浜の海岸であるが、その北側には七桶磯と呼ばれている磯場が広がっており、その脇には小さな漁港に漁船が止まり、海藻を干しているのどかな光景が広がっているが、この七桶磯こそが今なお欲張りな老婆と大蛸の伝説を伝える海岸なのである。
昔、ここの近くには欲張りな老婆が住んでいた。
ある日、老婆が磯に出ては食べる事の出来る貝や海藻を取っていると、磯の岩場に見た事もないような大きな蛸が休んでいた。
しめしめ、これは良い獲物とばかりに手をかけるが、蛸は大きくて重く、とても持ち上げられないばかりか、吸盤をピッタリと吸いつけてビクともしない。
老婆は仕方なく、8本ある足のうち1本だけを切り落として持ち帰ったが、その足の大きい事。足1本だけで桶がいっぱいになってしまうほどであった。
老婆はその足を鎌倉の町で売って大儲けすると、翌日も磯に出て、やはり同じ蛸が同じ場所に休んでいたので、また足を1本切り落としては桶にいっぱいにして持ち帰った。
老婆はすっかり味をしめ、昨日も1本、今日も1本、明日も1本と7本の足を持ち帰っては売り、とうとう8日目に最後の足を切り落とそうと出刃を向けたところ、さすがの大蛸も怒り狂って老婆を捕まえ、深い海の底に引きずり込んでしまったという。
実は、このような話は全国各地であり、「まんが日本むかしばなし」でも熊本県の話として紹介されている。
三浦半島だけでも小網代や長沢に同じような民話が残されており、これは欲を張らせて殺生をすると、必ずや祟りがあるという戒めなのでもあろう。
その後、この七桶磯の近くには小さな七桶寺という地蔵堂が建てられた。
一見して民家のようであり、誰が管理しているのかも書かれておらず、鍵も固く閉ざされたままで扁額すらない小さなお堂であるが、悪疫退散の霊験あらたかとして地元の方から信仰されているという。
みうけんも、この七桶寺がどこだか分からずにさんざ迷って、近くの住民の方に場所を教えて頂き、管理されている方が不在の為に門を開けて見る事はかなわなかったが、その霊験についていろいろとお話をいただいた。
現在では七桶の磯には立派な防波堤ができ、かつての風光明媚さは失われてしまったものの、このような伝説が消えていくのは忍びないと、近くに住んでいた小峰浅次郎氏により防波堤の上に記念碑が建てられ、
春涛の 七桶寺の 昔かな
という葉山町長の句が刻まれていたというが、その句も七桶磯の荒波に洗われ、すっかり読み取れなくなってしまっている。
いま、この防波堤に立ち、寄せては返す荒波と早春の冷たい風を浴びながら遠くの海上に富士山を望むとき、海に生きる生き物たちと海の恵みをいただいて生きてきた磯の人たちの息遣いが今に伝わるようである。