みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのJog・CE50。時速30キロで見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。

走水の渚に忽然と消えた「おこん」の伝説(横須賀市)

横須賀市中心部から海沿いを走る風光明媚なよこすか海岸通りを東進すれば、観音崎の手前にあるのが走水といわれる地域である。


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走水の地名は古く、古くは古事記や日本書記にもその名を表す文字通り日本で最も古い地名の一つであるが、この走水には有名な古文書には載らなくとも、里人の間で今なお語り継がれる悲しい哀話が今も残されているのである。


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一番上に挙げた岬の写真は十石崎と呼ばれ、今となっては防衛大学校の敷地となっているものの、古くより岩場ばかりの岩礁地帯であり、海藻やホヤ、魚や巻貝などの優良な漁場として里人たちの暮らしを支え、今なおたくさんの海藻が打ち上げられてはテングサなどを拾い集める人の姿を目にする事がある。

 


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昔、この辺りでも働き者で有名な「おこん」という女がいた。

働き者で、器量もよく、その屈託のない笑顔で笑う姿は村人の皆から愛されていたが、ある日の夕餉の足しに磯物を取りに行くと出かけたまま行方知れずになってしまった。

 

一日たち、二日たち、やがて村人たちが総出となって辺りの磯をくまなく探したものの見つけることは叶わず、家族も村人も大いに悲しんで亡骸がないままの葬式を済ませたのである。

 

それから何年かたち、誰もがおこんの事を口にしなくなったある日の夕方、村人がこの磯に出て貝など拾おうとしたときに、磯に1人の女が立ちすくんで、こちらを見ているではないか。

村人はハッとしてよく見ると、確かに見覚えのある顔であった。

 

村人は駆け寄って、 

「おこん、お前はおこんじゃないか・・・」と声をかけようとしたが、その女は哀しげな顔のままスーッと消えてしまったのだという。

 

村人は、慌てて村へ帰り家族へ事の一部始終を話した。

村人たちは、それこそがおこんの亡霊に違いない、その場所でおこんは波にでもさらわれたのだろうか───。

口々に話し合い、いつしか皆で磯に向かって合掌し、すすり泣く声が聞こえたという。

 

それから時はたち、観音崎一帯は戦時中の要塞地帯として開発され、今でも近くには戦争の痕跡とされる遺構が数多く残されている。

 

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戦後、平和となった昭和、平成、令和の時代には風光明媚な景勝地として、また多くの人たちが海のほとりで余暇を楽しむ園地として、綺麗にお洒落に整備されてきた。

 

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しかし、走水ではもともと磯に穿たれた穴や磯そのものをバッコと呼んでいたが、今なおこのあたりの磯はオコンドバッコと呼ばれ、渚に消えていったおこんの伝説を今なお伝えているのである。

 

いま、綺麗に整備されたボードウォークの上から、はるかに望むオコンドバッコの磯を眺めるとき、その手前には戦時中の物と思しき遺構が横たわり、この磯が歩んできた波乱の歴史を感じつつ、思わず合掌せずにはおれないのである。