みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのJog・CE50。時速30キロで見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。

小田原の神社で朽ち果てていく 戦争の生き証人(小田原市)

伊豆箱根鉄道大雄山線井細田駅から山王川に沿って西へ進み、小田原厚木道路をくぐって山すそにあるのが、この地で古くから鎮守を務めている郷社の神山神社がある。


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この神社は神山神社と書いて「こうやまじんじゃ」と読ませ、小田原市城山にある大稲荷神社の管理する神社であり、その祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、天照大日霊神(あまてらすおおひるめのかみ)である。

 

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その境内の片隅には戦争で散った英霊を祀る忠霊塔や忠魂碑が並んでいるが、その脇に朽ち果てて今にも崩れそうな魚雷が安置されているのが見て取れるのである。


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由来書によれば、防衛省・防衛研究図書館所蔵の「廃兵器無償下附の件」(ママ)によると、昭和2年(1927年)8月1日付で神社関係者から旧日本海軍横須賀鎮守府長官宛に魚雷提供の要請があったが、同年9月に許可が下り、時を同じくして陸軍大臣にも同様の申請を行っていたため、魚雷、砲身、砲弾が贈られたとされている。

 

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戦後、魚雷1発と砲弾2発は慰霊碑とともに残されたが、砲身は火薬が残存するおそれがあるとして2003年に撤去されたのだという。

海上自衛隊による魚雷の調査報告の結果は、全長5.2メートル、直径45センチ、明治44年制式と推定された。

 

これは、おそらく四四式魚雷のことであろう。

第一次世界大戦で活躍し、空気圧力200kgで海中に発射すると自動的にエンジンがかかり、時速50キロを超えて敵艦に向かうという、当時としてはトップクラスの速さと技術を誇った国産魚雷である。

 

現在、その魚雷は錆びて朽ち果て、基材の木がむき出しになっていて痛ましい限りであるが、その脇には僅かでも水の抵抗を減らそうとネジの頭を後ろに向けた技術開発の努力が垣間見えて興味深い。


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この配管も当時の部品だと思うが、この部品だけを外して見せられて「現代の水道管」と言われても信じてしまうような精巧な代物である。

このように、現代でも違和感なく使えそうな部品がそこかしこに現れ、これが100年以上前の明治44年制式であるとは、その技術の高さに驚きを隠せない。


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おそらく、当時の技術の最先端をいく魚雷で、いろいろな開発努力の結晶なのであろうか。

後部のスクリューですら、現代の自衛隊が使っているものと大差ないようで、当時から完成された技術である事がわかるのである。


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しかし、このような貴重な戦争遺産が、潮風の吹きつける小田原の街で長年風雨に晒され、こうして朽ちていくさまは見るに絶えない。

 

これほどまでに貴重な戦争遺産がこのように野ざらしに残されていることに驚きではあるが、同じ魚雷は埼玉県深谷市の東雲寺にも保存されており、こちらは他ブログによれば何故かピンクに塗られているものの、劣化の度合いは大して変わらないようである。

 

heihei2010.blog.fc2.com

 

上記のブログでは国内唯一とあるが、ここ小田原にも保管されているから、他にも保存例はあるのかも知れない。

 

しかし、この魚雷はとてつもなく貴重なものであることには変わりはなく、この魚雷がこのまま朽ちて折れたりしてしまわないよう、どうにか打つ手はないものかと考えてしまうのである。