みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのJog・CE50。時速30キロで見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。

山すそにひっそりと伝わる不思議なダイダラボッチの足跡(横浜市港南区)

現在では環状2号線を数えきれぬほどの車が往来し、丘という丘に、谷戸という谷戸が住宅で埋め尽くされている地下鉄上永谷駅のあたりも、半世紀前には一面田畑の穏やかな農村地帯であったが、上永谷駅から少し離れた上永谷町や舞岡、野庭の一部には今なお静かな田園光景が広がり往時を偲ばせている。

 

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田んぼというものは、その多くはたとえば藤沢市を流れる境川のように、川の両岸に沿って広がるのが多いのであるが、この近辺の田んぼは小さな田んぼが飛び石のようにポツン、ポツンとあったので、古くから「飛び田」と呼ばれていた。

この飛び田の成立には聞くも不思議な「ダイダラボッチ」の伝説が関係しているのである。


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むかし、このあたりには見上げるほどの巨人「ダイダラボッチ」が住み着き、村人と仲良く暮らしていた。

 

ダイダラボッチは怪力の持ち主で、相撲を取れば右に出るものはいないが心根は極めて優しく、村人が川があふれて困ると言えばたちまち手で泥を寄せて土手をこしらえ、崖が崩れて困ると言えばたちまち山を大きな手で押し固めたりして村人から喜ばれていただけではなく、村の家々を壊してしまったりしないように、常につま先で立って歩いていたのだという。

 

ある日、ダイダラボッチが近くを流れる馬洗川をまたごうとすると、たまたま川で水を飲んでいた馬がダイダラボッチのあまりの大きさに驚いて暴れだしてしまった。

 

突然の馬のいななきに、さすがのダイダラボッチも大いに驚いて、それまで静かに歩いていたが、よろけてしまい、足先を思い切り山肌に食い込ませてしまったのである。

 

そのために地面には大きな穴がいくつも開いたが、その穴に水が溜まったのをのちの村人が田んぼに作り変えたのだという。

 

この馬がのちに尼将軍と呼ばれ源頼朝の妻となる北条政子の馬であった。

 

北条政子は常日頃から信心深く、住んでいた鎌倉から弘明寺の観音様へ馬に乗ってお参りに通うことがしばしばあったが、その際に川原で馬に水を飲ませていたところであった。

 

北条政子はこの時、驚いて暴れて汚れてしまった馬の顔を川で洗ったので、この川には「馬洗川」と呼ばれるようになったのだという。

 

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現在は語られることも少なくなった昔話であるが、現在も野庭のあたりでは

 

〽︎野庭はよいとこ雨あがり  美人はいないか
   ぬき足 さし足   尼さんの馬に追われて
  でいだらぼっちが   “ふん”をした

 

という田植え歌が伝えられている。

この田植え歌も歌う者がいなくなれば忘れられていくのであろうが、いかにものどかな農村地帯の言い伝えであり、聞いているとダイダラボッチにあやかれるのかこちらまで心が優しくなるような話である。


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いま、この里にはダイダラボッチが歩くことは無くなってしまったが、いまでも大きなダイダラボッチの足あとは水をたたえて稲を育て、小さなカエルやドジョウの楽園となっている。

 

時代は流れ科学万能と謳われる現代になり、ダイダラボッチはその大きな姿を現さなくなってしまったのであるが、心優しいそのまなざしで田んぼの生き物たちを見守り、人々の暮らしを眺めているのかもしれないのである。