みうけんのヨコハマ原付紀行

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港北区に今なお伝わる「いのちの池」を訪れてみた(後編・「ち」の池編)

(中篇・「の」の池編からつづき)

 

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前編・中編に続く港北区の「いのちの池」のお話も、いよいよ最終話。

今回は「ち」の池のお話である。

 

前編・中編でもお伝えしたように港北区の師岡地区には「いのちの池」と呼ばれる池があり、それぞれ「い」の池、「の」の池として師岡熊野神社に残されており、「ち」の池は水神様のみが師岡熊野神社の境内に残されているのである。


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では、実際には「ち」の池は今はどうなっているのであろうか。

「ち」の池は師岡熊野神社から少し離れた住宅街の中にあったが、現在は大曾根第二公園という児童公園となっている。

 

 

下の写真は、昭和20~25年にかけて撮影された航空写真であり、はっきりと「ち」の池が写っている。

池が2つに分けられているのは、大曾根村と樽村で使用権をめぐって諍いになったから、池を2つに分けてそれぞれが使用したとのことである。もともとは一つの大きな池だったが、このように分割された例は鶴見区の二ツ池などでも見られる。

 

上の地図を見てもわかるが、Googleマップでも村の境が残されて、公園を縦断する形で地図に表記されているのが面白い。

 

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昭和23~32年、戦後転換期と呼ばれる時代の地図にもはっきりと描かれている。

このころには確かに「ち」の池があったが、都市化の波にはあらがえずに埋め立てられて姿を消してしまった。


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この「ち」の池には、聞くも悲しき伝説が残されている。

前編・中編で書いたように、「い」の池と「の」の池についてはその池の形が名の由来となっているのだが、この「ち」の池の名前の由来は別にある。

 

昔、諸国を旅して寺寺を巡り、納経しては祈願をして歩く巡礼の旅に出た身重の女がいたが、この「ち」の池の近くを通りがかった時に産気づき、子どもを産み落としてしまった。

そのあまりの苦しみ、痛みに耐えることができずに、あろうことか子どもを抱きしめたまま池に身を投げてしまったのである。

 

翌日、何も知らない村人が来ると池の水はおびただしい量の血により真っ赤に染まり、そこにはしっかりとわが子を抱きしめた巡礼姿の女が浮いていたのだという。

それからは、時折池の水が赤く染まる怪奇な現象が出るとされて「ち」の池の名で呼ばれるようになり、またこの水を飲むとたたりがあるとされて村人は恐れていたという。

 

その後、時代は明治から大正、大正から昭和の時代へと変わるにつれ、周囲には東京横濱電鉄(後の東横線)が開通し中原街道も整備されると、その交通の利便性の良さと東京への通勤のしやすさから住宅地へと変わっていったのである。

 

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そして田畑が姿を消すと農業用のため池としての「ち」の池はその役割を終え、さらに前述した伝説に加えて、子供が落ちては危ないとの理由から昭和44年(1969年)には埋め立てられ、公園として活用されるようになった。

 

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 港北区史などでは、「い」の池、「の」の池、「ち」の池ともに村人が生きていくのに欠かせぬ大切な水として使われていたため、「いのちの池」と呼ばれていた、という記述もある。

もともと、この3か所の「いのちの池」は師岡熊野神社の境内地でもあり、池そのものもご神体として崇められていたという。

それと同時に、前述した巡礼の伝説からこの池に続く坂道を「産ケ坂」(うまがさか)とよび、また周囲にはうっそうと樹木がしげり、昼なお暗くて盗人が出るというので「盗人ケ谷戸」とも呼ばれて村人は近づこうとしなかったというが、いま公園に行ってみれば明るく切り開かれ、聞こえるのは楽しげに遊ぶ子供たちの声ばかりである。


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不思議な片目の鯉の伝説を残す「い」の池。

小さくとも決して枯れない神聖な「の」の池。

聞くも悲しき巡礼の女の伝説を残す「ち」の池。

 

こんな身近にも、このような深い伝説が残されているのである。

 

いま、この公園で元気に駆け巡り楽しそうに遊ぶ子供たちと、その親の姿を眺めるとき、同じ場所に生まれながらすぐに命を絶たれてしまった哀れな赤子と、産みの苦しみに耐えることができずに命を落としてしまった悲しい母親の無念を思い、その苦しみも悲しみもわずかでも癒えてくれればと、そっと心の中で手を合わせるのである。