みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのJog・CE50。時速30キロで見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。

植えかえられた桜道の桜に思うこと(横浜市港南区)

地下鉄の港南中央駅を降りると駅前には鎌倉街道が通っており、駅から少し南下するとすぐに急な坂道を登る脇道がある。

 

 

この脇道こそ、桜道といって昭和8年(1933年)の日野公園墓地完成に合わせてソメイヨシノが植樹されたのを皮切りに、次々と桜の木が植樹され、桜の開花時期には見事な桜のアーチが続いており、桜の時期には多くの花見客が訪れるとともに、港南桜祭りが開かれ屋台も多数出るなど大変な賑わいを見せる桜の名所であった。

 

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文明開化の頃は人家もまばらな農村だった現在の横浜市域も、明治から大正にかけて爆発的な人口増加をみせた。

必然的に墓地も必要となり日野公園墓地が作られ、その参道にすべく桜道と、笹下釜利谷道路からつながる関坂の土地を地元農家から寄進され、完成記念の一つとして地元の町内会や青年団が一丸となりソメイヨシノの桜の苗木を植えていったのである。

 

桜道側を植え終わり、関坂を上から植えていったが途中で苗木が足りなくなったため坂の途中で桜の木は途切れているのも話としては面白い。

 

戦時中は食糧増産に邪魔であるといっては切られそうになり、また燃料として切り倒されそうになったりと受難続きであったが、桜を愛する地元住民により地道な保護運動と「港南の桜まつり」が続けられ、近年までは桜の名所であり続けた。

 

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しかし、大正から昭和、昭和から平成に変わり、交通の主役は牛馬や汽車から主に自動車にとって代わられた。

 

特に平成13年(2001年)に住民悲願の路線バスがこの地を走るようになると、桜道の問題はさらに深刻になっていく。

バスと自家用車、トラックなどが入り乱れ、その都度バスは桜の樹の陰や歩道上に身を隠すようにして道をゆずるので、定時運行どころの話ではなく当然のごとく急ブレーキや急カーブを繰り返すバス車内では転倒者も発生し、実際にみうけん家の近所のお婆さんは桜道で乗っていたバスが桜をよけた乗用車と衝突しかけ、バスの運転士が急ブレーキを踏んだため転倒し腰を骨折し入院したという。

このころはみうけんもこのバスをよく利用していたが、確かに桜道ではよく揺れた思い出がある。

 

また、根あがりによる道路の凹凸が激しく、大きな桜が歩道の真ん中にあるため高齢化が著しい港南区域ではお年寄りが使う手押し車や車いすで歩道を通れず、車道を歩く姿も見られて、また足腰弱いお年寄りが桜の根あがりにつまずき転ぶこともあったという。

 

加えて、決定的なのは近隣の住民層の変化であろう。

みうけん家も港南区に住み10年ほどしかたたない新参者ではあるが、やはり引っ越してきた住人の中には桜に愛着を持たない者もいたのは事実である。

 

実際みうけんも「きれいだなー、切られるのはもったいないけど仕方ないなー」くらいの感覚しかなかったし、お隣のおじさんも「歩きやすくなってよかったね!」と喜んでいる。

思い起こせば桜の木を切る計画が出たころ、みうけんは地元の町内会の班長を持ち回りでやっていたのだが、桜道近隣の地域の住民からは自宅車庫への車の出し入れのしにくさ、桜の大木により日照が遮られる事への不満、小学校の通学路をふさぐ桜の木の存在、毛虫の発生と殺虫剤散布に対する不満、桜の花びらが散って汚いなどの意見もあり、桜の木の伐採と道路再整備を根強く求める声が少なからずあった、と当時出席した町内会の班長会では報告されていた。

みうけん家が参加した町内会の班長会では、桜道とは地域が異なるにもかかわらず桜の木の保存派と伐採派に意見が分かれて言い争いになることもあったほどである。

 

また、ソメイヨシノは一般的に樹の寿命が60年とも80年とも言われ、中には京都などで130年の樹齢を数えるものもあるが、港南区の桜道の桜は老化が激しいうえに桜の急所である根をしたたかに踏まれ続けて、保存会の必死の治療にもかかわらず衰弱しテング巣病にかかった老木や台風のたびに枝が折れる木もあったというありさまであったという。

 

そんな事情が重なり、とうとう港南区役所は新たな植樹の費用として環境創造局の予算に2640万円を計上。

植栽枡設置や伐採抜根の費用として、さらに道路局と区役所の連携事業に1710万円を計上し、平成25年(2013年)から伐採が始まり、アマギヨシノとカンヒザクラを交配して作られたヨウコウ桜に植え替えが始まったのである。

 

ヨウコウ桜はソメイヨシノよりも早く咲き、色が濃くて花が大きいのが特徴で、環境創造局によると3・5メートルから4メートルの木を植樹し、既存の桜は全て伐採し、既存の本数を基本に植樹する、と2017年2月16日号のタウンニュースで報じられている。


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それに加えて歩道も再整備され、それまで桜の木を避けながら走っていたバスや自動車も快適にまっすぐ走り、歩道では桜の木や根を避けて歩く住民の姿はもはやない。


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桜の木はすっかり小さくなってしまったが、新たな世代としてしっかりとこの桜道に根付き、華麗なピンクの花びらを広げて道ゆく人々を癒してくれている。


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こちらは昭和53年に中の丸上町町内会有志が50万円をかけ、近くの天照大神宮の鳥居柱を活用して作られた記念碑。

もとは関坂交差点にあったものが再開発によって移動させられてしまったという。


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現在、この石碑は桜道コミュニティハウスに立っているが、桜の時期だというのにすっかり選挙の看板に隠れてしまっている。


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もうすぐ100年の歴史を迎えようとしている桜道。

地元に長年親しまれてきた桜の大木が切られてしまったのは実に悲しく残念な事ではあるが、生きとし生ける者にはあまねく寿命があり、命なくとも形あるものはいつかは壊れてしまうのも道理である。

 

もともと、桜の木を完全に一掃して普通の道路にしてしまう案もあったというから、道路を整備したうえで新しい桜を植え、桜道の名を残しただけでも良かったのではないだろうか。

 

桜の名所はかつての勢いこそないが、これから何十年という歳月を重ねるごとに、新しい桜は徐々に立派になり、またかつてのように雄大な桜のアーチと桜吹雪を見せてくれることだろう。

その姿を見るのは我々の子供や孫、ひ孫の世代になろうとは思うが、その時になれば今なお批判と称賛のはざまに揺れる桜の老木の伐採と植え替え事業に真の評価が下されるのかもしれない。