みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。

歴史と民話とツーリング-横須賀市

名主が百倍の加護を願った 専養院の百庚申塔(横須賀市)

三浦半島西岸の陸上自衛隊武山駐屯地から、小田和川に沿って走る道をどんどん登っていくと、やがてこんもりとした小山が見えてくるが、これはただの山ではなく三浦大介義明の子である大田和義久が築城したとと伝わっている大田和城址である。 この方角から見…

生活の中心となり 武士の体をも清めた身洗川(横須賀市)

夏も終わりに近づいた9月の初め、さわやかな風を全身に浴びながら原付で横須賀の里を駆け抜けると、途中で見えてくる見事な段々畑から上がってくる潮風が実に心地よく、日ごろ搾取されている身のストレスを一気に発散することができる。 道はどんどん細くな…

漂着した御神体が漁師を見守る 長井の熊野神社(横須賀市)

三浦半島の西のはずれ、訪れる人もまばらな長井地区の海沿いの道路に、突如として立派な石造りの鳥居が姿を現すところがあり、これを地元の里人たちは「ごんげんさま」と呼んで親しんでいる。 この石造の鳥居は、石船が石を江戸へ運ぶ際、沖合いの亀城暗礁(…

武士の霊を慰め 漁師たちの漁をも守った長井の経塚(横須賀市)

京浜急行が南北を貫く三浦半島東側の海岸沿いに比べ、西側の長井あたりは交通の便も悪く、公共交通機関と言ったら本数も少ないバスくらいのもので、訪れる人もまばらな静かな所である。 長井の台地には、かつて旧日本軍の飛行場が建設された。 追浜の第1飛…

不思議な伝説を今に残す 長井の長徳寺(横須賀市)

三浦半島の西端、横須賀市長井の里にある浄土真宗長徳寺はかつては天台宗の古刹で、もともとの本尊は不動明王だったという。 現在ではお彼岸の時期にでもならなければ訪れる人も少なくて、まさに静寂の一言が似合うような静かなお寺である。 この長徳寺の本…

荒馬を名馬に変えた 蹄の井戸と馬堀の由来(横須賀市)

天気もよく日差しも温かな初夏の日、椰子の葉が揺れるよこすか海岸通りで原付を走らせた。 全身に当たる海風は心地よく、交通量も少ない、この海岸沿いの道はみうけんのお気に入りスポットのひとつである。 やがて、馬堀海岸四丁目東の交差点を山側にそれ、…

不思議な伝説を今に残す 隠れた景勝地 観音寺(横須賀市)

横須賀市は深浦湾の脇、榎戸というバス停がある。 この榎戸バス停から山側に行くとすぐに三叉路があるが、この三叉路を超えたところにうっかりすると通り過ぎてしまいそうな細い道がある。 この道は当然車では入れないようなところであるが、このような道で…

人々の信仰を集めた 亀崎半島の観音寺の栄枯盛衰(横須賀市)

大海原を見ながら観音崎通りを原付で駆け抜けて、観音崎公園を抜け鴨居の里に入る手前、小さく東京湾に突き出した半島が亀崎半島である。 この亀崎半島の付け根には「駆逐艦村雨の碑」の案内板が設けられているが、その脇に車がやっと一大通れる程度の細い道…

和田義盛主従が戦勝を願った 山上の髭剃塚(横須賀市)

観音崎公園の南側、鴨居小学校から海に出る道の途上に、うっそうとした木々が茂る丘があり、その中にひっそりと建つのが東光山無量寿院と号する西徳寺であり、その宗派は浄土宗鎮西派である。 この寺は鎌倉にある光明寺の末寺であり、開山は法誉順性であり、…

捨て子から僧となり村の危機を救った 久村の捨平(横須賀市)

久里浜の駅の西側、八幡神社を越えてなだらかな坂を上った丘の上には、いかにも地元の鎮守様といった風情のお社があり、これを御瀧神社といい、祭神は滝口五郎盛定というこの地の豪族である。 一見して無人と分かるような小さな神社であり、境内には公園も整…

武将との相撲に負けてしまった 岩戸の天狗の伝説(横須賀市)

南東に向けて走っていた京浜急行の線路が、三浦半島の海岸船に添う形で大きく西にカーブするところがある。 いわゆる北久里浜駅からYRP野比駅までの区間であるが、この中に線路に囲まれるようにしてある岩戸という地区がある。 岩戸はかつてはうっそうと…

グレゴリ青山さんと共有した 鷹取山の磨崖仏の話 (横須賀市)

みうけんの好きなマンガ家さんは、主に手塚治虫・藤子不二雄・宮崎駿(風の谷のナウシカなど)・横山光輝などがいますが、その「好きなマンガ家さん」のうちの一人にグレゴリ青山さんという方がいらっしゃいます。 ja.wikipedia.org 京都出身の女性で、古本…

忘れ去られていく 霊験あらたかな清雲寺クリ山井戸(横須賀市)

京浜急行北久里浜駅を起点に西側の山を登っていくと、遠くに東京湾を望む横須賀市営墓地があるが、そのふもとの小高く昼なおうっそうとした木々が生い茂る中に、清雲寺という静かなお寺がある。 むかし、康平6年(1063年)に源頼義より三浦の地を与えら…

三浦一族の偉業を今にも伝える 大矢部の腹切り松公園(横須賀市)

横須賀の衣笠や佐原の一帯は、かつては三浦一族の拠点として多くの城郭が築かれて栄え、歴史の舞台としても有名なところであるが、現在では閑静な住宅街であり史跡も目立たずといった感じがあるので、何も気を付けて居なければそのまま通り過ぎてしまうよう…

廃寺より移された 三浦一族開祖と三代の墓(横須賀市)

京浜急行北久里浜駅を起点に西側の山を登っていくと、遠くに東京湾を望む横須賀市営墓地があるが、そのふもとの小高く昼なおうっそうとした木々が生い茂る中に、清雲寺という静かなお寺がある。 むかし、康平6年(1063年)に源頼義より三浦の地を与えら…

和田義盛が戦勝を占った 和田地蔵の伝説(横須賀市)

観音崎公園の南側、鴨居小学校から海に出る道の途上に、うっそうとした木々が茂る丘があり、その中にひっそりと建つのが東光山無量寿院と号する西徳寺であり、その宗派は浄土宗鎮西派である。 この寺は鎌倉にある光明寺の末寺であり、開山は法誉順性であり、…

航海安全と病平癒を願った 勇猛豪傑の為朝神社(横須賀市)

横須賀の浦賀湾西側にある西浦賀の地は、かつては海運の要綱として栄え、また浦賀奉行所が出来て黒船来航の歴史舞台となるなど、その歴史は深いものがあるが、その西浦賀の閑静な住宅街の中にひっそりと埋もれるようにして建つ小さな神社がある。 この神社は…

幼子の慰霊と不思議な伝説を今に伝える 原の岩舟地蔵堂(横須賀市)

横須賀の西岸、秋谷を見下ろす一帯は原という地名であり、数軒の家々が木々に抱かれるようにしてあり、遠くには相模灘の果てに秀麗富士山をのぞむ風光明媚な土地柄である。 その原の道路わき、ノッコシと呼ばれる谷戸の道路から一段上がったところに小さな地…

村人の信仰を今なお伝える 荒井の道切り(横須賀市)

横須賀市長井の海岸沿いを原付で走っていると、近くには大海原が広がる荒崎公園に出るのだが、その近くには勧明寺という浄土真宗の寺があり、その門前の通りに一本の縄が掛けられているのを目にした。 この縄は「荒井の道切り」というもので、電信柱から電信…

走水の渚に忽然と消えた「おこん」の伝説(横須賀市)

横須賀市中心部から海沿いを走る風光明媚なよこすか海岸通りを東進すれば、観音崎の手前にあるのが走水といわれる地域である。 走水の地名は古く、古くは古事記や日本書記にもその名を表す文字通り日本で最も古い地名の一つであるが、この走水には有名な古文…

崖に穿たれた小さなお社 亀崎神社(横須賀市)

大海原を見ながら観音崎通りを原付で駆け抜けて、観音崎公園を抜け鴨居の里に入る手前、小さく東京湾に突き出した半島が亀崎半島である。 この亀崎半島の付け根には「駆逐艦村雨の碑」の案内板が設けられているが、その道路向かいに小さな階段があり、その先…

遊興客でにぎわった観音崎のお茶屋跡を訪ねて(横須賀市)

戦時中は東京湾要塞といい、東京湾と帝都東京を防衛する要として要塞地帯となった三浦半島の観音崎も、現在となっては風光明媚な風景を楽しめる遊歩道が整備された公園となり、平日だというにもかかわらず多くの人が散策を楽しむ平和なところである。 以前、…

刑場の露と消えた罪人が病を癒す 寿光院の首切り地蔵(横須賀市)

横須賀の浦賀湾西側にある西浦賀の地は、かつては海運の要綱として栄え、また浦賀奉行所が出来て黒船来航の歴史舞台となるなど、その歴史は深いものがあるが、その西浦賀の閑静な住宅街の中に見渡すような広い空地があり、これこそが享保5年(1720年)…

失明した武将が手探りで刻んだ 両面地蔵尊の哀話(横須賀市)

三浦半島のほぼ中心部、訪れる人もあまりなく、最寄りの駅はと聞かれると首をかしげてしまうほど交通も不便な、阿部倉というところがある。 この阿部倉にはかつて阿部倉温泉という温泉がありハイキング客などでにぎわったが、その阿部倉温泉もずいぶん前に廃…

走水神社に伝わる日本武尊と弟橘媛命の伝説(横須賀市)

名勝観音崎に程近く、東京湾から遠く房総を眺める走水の地は風光明媚なところで、古くは古事記や日本書記にもその名を表す、文字通り日本で最も古い地名の一つである。 その走水の鎮守として人々の崇敬を集めているのが、その名も走水神社であり、創建はいつ…

地域の信仰を受け継ぐ 山裾の玉姫稲荷(横須賀市)

横須賀市中心部から観音崎に向かって海沿いを走る国道16号線は、平日の昼間ともなれば走る車も少なく、寄せては返すさざなみが悠久の時を変わらず刻み、その美しさは筆舌に尽くしがたいものがある。 馬堀海岸のインターチェンジを過ぎてすぐ、二車線から一…

豪放優雅な遊女屋 江戸屋半五郎(横須賀市)

横須賀は浦賀湾の西側にある西叶神社には、銅製の灯籠とともに手水鉢が並べられているが、このどちらも寄進者は江戸屋半五郎という人である。 時は今からさかのぼって江戸時代の中ごろである。 伊豆から浦賀へ番所が移転してくると、各地から多くの船が出入…

戦争の生き証人 多々良浜のトーチカ(横須賀市)

三浦半島の観音崎を越えて観音崎通りを南下していくと、右手には新緑うるわしき峰々と、左手には透明度も高い海の砂浜がひろがる風光明媚なところであるが、これこそが多々良浜と呼ばれる砂浜であり、平日の昼間ともなれば訪れる人も少なく、その静けさが実…

人々から忘れ去られし 洞窟に眠る馬頭観音像(横須賀市)

浦賀湾の西側、常福寺という寺の脇に細い坂があり、今となっては木々も生い茂り昼なお鬱蒼として歩く人もまばらなところであるが、ここはかつて坂上の柳町赤線街へと続く道である。 柳町という地名も、赤線の町に風情を与えようと柳並木を作ったのが始まりと…

観音崎の名の由来となった 観音寺の記憶をたどる(横須賀市)

戦時中は東京湾要塞といい、東京湾と帝都東京を防衛する要として要塞地帯となった三浦半島の観音崎も、現在となっては風光明媚な風景を楽しめる遊歩道が整備された公園となり、平日だというにもかかわらず多くの人が散策を楽しむ平和なところである。 その遊…